【中村憲吉】『21選』知っておきたい古典~現代短歌!

椿

椿

中村 憲吉 (なかむら けんきち)

1889年~1934年 歌人。広島県双三郡布野村上布野生まれ。(現三次市)

三次銀行初代頭取を務め、醸造業なども営む地元の名望家の父、修一の次男として生まれる。1906年4月、憲吉は上京し、正則英語学校に通学。9月、鹿児島の第七高等学校造士館(七高)第一部甲類に入学。第七高等学校在学中、堀内卓造により『万葉集』、正岡子規、伊藤左千夫を知り影響を受ける。1908年、日本新聞の伊藤左千夫選歌、課題「竹」に応募して数首が採用される。

1909年上京、伊藤左千夫に師事。斎藤茂吉、古泉千樫に会う。翌年、東大経済学部に入学。「アララギ」の編集に参加。繊細で都会的な作風が注目される。

やがて帰郷し、県北一の資産家の後継者として家業の酒造業をつぐ。一時「大阪毎日新 聞」の経済記者にもなった。晩年にかけて四方を自然に囲まれる中、人生と自然を歌って独自の歌風を確立した。

中村 憲吉 著作

1913年 合著歌集「馬鈴薯の花」  東雲堂書店

1916年 「林泉集 」アララギ発行所 (1925年春陽堂)

1921年 「中村憲吉選集」アルス

1924年 「しがらみ」 岩波書店(1994年短歌新聞社文庫)

1925年 「松の芽」 改造社

1931年 「軽雷集」 古今書院

1934年 「軽雷集以後」 岩波書店

1937~1938年 「中村憲吉全集 全4巻」 岩波書店(1982年復刊版)

1941年 「中村憲吉歌集」 岩波文庫(1989年復刊版)

1966年 「中村憲吉全歌集」 白玉書房

〈参考: フリー百科事典〉

中村 憲吉 短歌

秋浅き下道したみちを少女らはおほむねかろく靴ふみ来るも 『馬鈴薯の花』

吹きなやむ青葉のかげに昼のにじみてともる夏さりにけり 『林泉集』

篠懸樹ぷらたなすかげを行く眼蓋まなぶたに血しほいろさし夏さりにけり

洋館やうくわんの椿をゆするはやち風ピアノ鳴りつつ弾音だんおんはやし

夜の珈琲店かがみの壁にはふかし食卓しょくたく白きなかよりけば 

秋づけば必ずとほる砲兵隊ほうへいたい今日けふもとほりて国越くにこええにけり 『しがらみ』

あまかぜの音にねむらざらむみどりの起きて畳を舐めつつあそぶ

ほうのかげ馬のかげよりち歩む兵はつかれて汗あえにけり

みどりは花を食べたらし口拭くちふけば小指をゆびにつきてうてないでたり

ゆふさればいにしへびとおもほゆる杉はしづくを落しそめけり

国こぞり電話を呼べど亡びたりや大東京の静かにありぬ 『灰燼集』

国こぞり電話を呼べど亡びたりや大東京に声なくなりぬ 『軽雷集』

かうのけむりなびけどのあたり人かヘるべき世にあらなくに

梅林ばいりんにでて鶴は羽ばたけり芝生につくる影のおほきさ 

春さむき梅の疎林そりんをゆく鶴のたかくあゆみて枝をくぐらず 

峰のうへに夕日あまねしかそかなる谷のぼり来てこゑを挙げつる 

横浜が焼けほろぶふ声きこゆよるふかくしてしほの岬より

我が事の多くなりたるおもひあり故郷の家にあまたの家族うから

うつそみのいのちさみしもこの山に百世ももよの後の樹を植うわれは 『軽雷集以後』

にはたづみ砂の流れし寺門みち杉は日ぐれてしづきつつをり

病むへやの窓の枯木の桜さへ枝つやづきて春はせまりぬ

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