中村 憲吉 (なかむら けんきち)
1889年~1934年 歌人。広島県双三郡布野村上布野生まれ。(現三次市)
三次銀行初代頭取を務め、醸造業なども営む地元の名望家の父、修一の次男として生まれる。1906年4月、憲吉は上京し、正則英語学校に通学。9月、鹿児島の第七高等学校造士館(七高)第一部甲類に入学。第七高等学校在学中、堀内卓造により『万葉集』、正岡子規、伊藤左千夫を知り影響を受ける。1908年、日本新聞の伊藤左千夫選歌、課題「竹」に応募して数首が採用される。
1909年上京、伊藤左千夫に師事。斎藤茂吉、古泉千樫に会う。翌年、東大経済学部に入学。「アララギ」の編集に参加。繊細で都会的な作風が注目される。
やがて帰郷し、県北一の資産家の後継者として家業の酒造業をつぐ。一時「大阪毎日新 聞」の経済記者にもなった。晩年にかけて四方を自然に囲まれる中、人生と自然を歌って独自の歌風を確立した。
中村 憲吉 著作
1913年 合著歌集「馬鈴薯の花」 東雲堂書店
1916年 「林泉集 」アララギ発行所 (1925年春陽堂)
1921年 「中村憲吉選集」アルス
1924年 「しがらみ」 岩波書店(1994年短歌新聞社文庫)
1925年 「松の芽」 改造社
1931年 「軽雷集」 古今書院
1934年 「軽雷集以後」 岩波書店
1937~1938年 「中村憲吉全集 全4巻」 岩波書店(1982年復刊版)
1941年 「中村憲吉歌集」 岩波文庫(1989年復刊版)
1966年 「中村憲吉全歌集」 白玉書房
〈参考: フリー百科事典〉
中村 憲吉 短歌
秋浅き木の下道を少女らはおほむねかろく靴ふみ来るも 『馬鈴薯の花』
吹きなやむ青葉のかげに昼の燈の滲みて点る夏さりにけり 『林泉集』
篠懸樹かげを行く女が眼蓋に血しほいろさし夏さりにけり
洋館の椿をゆする疾ち風ピアノ鳴りつつ弾音はやし
夜の珈琲店かがみの壁に燈はふかし食卓白きなかより対けば
秋づけば必ずとほる砲兵隊の今日もとほりて国越えにけり 『しがらみ』
雨かぜの音に眠らざらむみどり児の起きて畳を舐めつつあそぶ
砲のかげ馬のかげより徒ち歩む兵はつかれて汗あえにけり
みどり児は花を食べたらし口拭けば小指につきて萼いでたり
夕さればいにしへ人の思ほゆる杉はしづくを落しそめけり
国こぞり電話を呼べど亡びたりや大東京の静かにありぬ 『灰燼集』
国こぞり電話を呼べど亡びたりや大東京に声なくなりぬ 『軽雷集』
焚く香のけむりなびけど目のあたり人かヘるべき世にあらなくに
梅林の外にでて鶴は羽ばたけり芝生につくる影のおほきさ
春さむき梅の疎林をゆく鶴のたかくあゆみて枝をくぐらず
峰のうへに夕日あまねし幽かなる谷のぼり来てこゑを挙げつる
横浜が焼けほろぶ云ふ声きこゆ夜ふかくして潮岬より
我が事の多くなりたる思あり故郷の家にあまたの家族
うつそみの命さみしもこの山に百世の後の樹を植うわれは 『軽雷集以後』
にはたづみ砂の流れし寺門みち杉は日ぐれて雫きつつをり
病む室の窓の枯木の桜さへ枝つやづきて春はせまりぬ
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