青山 霞村(あおやま かそん)口語歌の先駆者- 明治から昭和を駆け抜けた革新的歌人の軌跡
1874年(明治7年)、歴史と文化の街・京都に生を受けた青山霞村(本名:青山嘉二郎)は、明治から昭和にかけて活躍した革新的な歌人、詩人として日本の短歌史に大きな足跡を残しました。
霞村の生涯は、日本が近代化への歩みを加速させていた時代と重なります。同志社大学在学中、既に文学への深い造詣を見せていた彼は、より広い知見を求めて渡米を決意します。当時としては珍しい選択でした。アメリカ・スタンフォード大学での留学経験は、後の彼の創作活動に大きな影響を与えることとなります。
しかし、その留学生活は病により中断を余儀なくされます。帰国後、霞村は文筆活動に専念し、特に「口語歌」運動に心血を注ぎました。明治後期から大正期にかけて、短歌は依然として文語調が主流でしたが、霞村は現代に即した表現方法を模索し続けました。
口語歌への取り組みは、単なる形式の問題ではありませんでした。霞村は、日常生活の中で使われる言葉で短歌を詠むことにより、より多くの人々が短歌を身近に感じられるようになることを目指していました。これは、短歌を特定の教養層の専有物から解放し、より広い層に開かれた表現形式とすることを意味していました。
霞村の創作活動は、1940年(昭和15年)の死去まで続きました。66年の生涯を通じて、彼は常に短歌の革新を追求し続けました。その姿勢は、後の歌人たちに大きな影響を与え、現代短歌の発展に重要な役割を果たしました。
特筆すべきは、霞村の実験精神です。文語と口語の間で揺れ動いていた当時の短歌界において、彼は明確な方向性を持って口語歌の可能性を追求しました。それは、伝統を単に否定するのではなく、新しい時代にふさわしい表現方法を模索する真摯な努力でした。
当時の文学界では、正岡子規の影響により写生的な歌風が主流となっていましたが、霞村はそれに甘んじることなく、独自の表現を追求し続けました。その姿勢は、単に形式的な革新にとどまらず、短歌表現の本質的な可能性を広げることにつながりました。
霞村の功績は、短歌の近代化への貢献として評価されています。特に、口語表現の導入は、現代短歌の基礎を築いた重要な革新として位置づけられています。その影響は、現代の短歌表現にも確実に息づいているのです。
青山 霞村 著書
1906年 口語歌集「池塘集」刊行。
1910年 詩集「草山の詩」を刊行。
詩集 「深草の元政」「桂園秘稿」「面影」など。
青山 霞村 短歌
心せよといふ父母は海万里また大陸を独旅する
青春のおぼろな古鏡まだなつかしい髪の香がする
蝶の夢花の夢草も春の夢雲のかたちもまた夢のやう
夢に見た花はとぼそに響き落ちてねやに冷たい秋の初風
コメント
霞村を採り上げていただきありがとうございます。
ただ、歌集の名前が間違っていますのでご訂正いただけると幸いです。
『地塘集』ではなく、『池塘集』です。『京都近代文学事典』がことごとく間違えています。
よろしくお願いします。
コメントありがとうございます。
間違いを訂正しました。
他にもご指摘の点がありましたら、よろしくお願いいたします。
さっそくご対応いただき、ありがとうございます。
青山霞村について調べていますが、主宰した『からすき』の最初の方の号が東大明治新聞雑誌文庫に少しあるだけです。1-3号あたりはぜひ見たいもの。何か情報がありましたら、どうぞよろしくお願い申し上げます。