島田 修二(しまだ しゅうじ)
1928年~2004年 神奈川県横須賀市生まれ。歌人。文芸評論家。
父、英之は浦賀船渠の客船インテリアデザイナー。母、敏子は斎藤茂吉に師事した「アララギ」の歌人。洋画家で文化功労者の島田章三は実弟。
横須賀中学卒業後、海軍兵学校に入学。江田島で広島の原爆を目撃したことが文学に繋がる転機となる。
北原白秋主宰の「多磨」を経て、1948年「コスモス」創刊に参加。宮柊二に師事。第一歌集『花火の星』により戦後世代を代表する歌人の一人。新聞記者として社会の動きに向き合いつつ作歌を続け、身体障害児の父としての生を描く。
1984年、評論集『抒情の空間』では現代における短歌の変革の可能性を考察。
1988年「青藍」を創刊、主宰。
島田 修二 短歌
愛といふ言葉のわれに重すぎて古城指さす汝に頷く 『花火の星』
足を病む汝が三輪車の影曳きてかく美しき落日に遭ふ
新しき生は来らん岸壁より見下ろす白き水母のいくつ
或る星をみつむる思ひ足病みて童仲間に紛らひゆかぬ子
幸福の系列にとほく大蟻の芝生越えをり黒くあらあらし
子が問へる死にし金魚の行末をわれも思ひぬ鉢洗ひゐて
ただ一度生れ来しなり「さくらさくら」歌ふベラフォンテも我も悲しき
病める子がまつたき生を遂ぐるべき国はなきものか地図の上には
夜の庭に腕光らせる三輪車空より降り来て置かれし位置に
アジア史に人間の罪誌しつつわれが裡なる兵士老いたり 『青夏』
裾ながき修道尼ひとり夕つ日のなかなる陸橋の半ほどを過ぐ
街角にもの言ふ鸚鵡と睜め合ふ寂しく充ちてわが私生活
棄てられし一兵として国を棄て夏の焦土を帰りしかな 『冬音』
食むべかる葡萄を前にたまゆらのいのち惜しみて長し戦後は
屈辱も疲労もやがてなじみゆくわがししむらの闇をうたがふ 『渚の日日』
サラリーの語源を塩と知りしより幾程かすがしく過ぎし日日はや
やすやすと制度に従ふししむらをしぐれに打たせ他人の如し
本籍を移せるわれを怒りたる信濃びと父の執着かなし 『東国黄昏』
行くべしと決めて寂けく歯をみがく広島に四十四年過ぎたり 『草木国土』
開かざるくちびるガーゼにほとぼせば先生の唇かすかに弾む
島田修二 著書
〈歌集〉
- 『花火の星』胡桃書館(1963)
- 『青夏』胡桃書館(1969)
- 『冬音』牧羊社(1977)
- 『島田修二歌集』現代歌人文庫(1978)
- 『渚の日日』花神社(1983)
- 『東国黄昏』花神社(1986)
- 『島田修二歌集』短歌研究文庫 (1987)
- 『春秋帖』短歌新聞社(1987)
- 『草木国土』花神社(1995)
- 『朝の階段』花神社(2000)
- 『行路 島田修二歌集』短歌研究社(2000)
〈評論集など〉
- 『宮柊二(短歌シリーズ・人と作品)』桜楓社(1980)
- 『宮柊二の歌』花神社(1980)
- 『職場 短歌読本』来嶋靖生共編 有斐閣選書(1981)
- 『北原白秋』短歌シリーズ・人と作品 田谷鋭共著 桜楓社 (1982)
- 『現代短歌入門』文化出版局 (1984)
- 『抒情の空間 島田修二評論集』雁書館 (1984)
- 『短歌に親しむ NHK短歌入門』日本放送出版協会 (1987)
- 『昭和の短歌を読む』岩波セミナーブックス (1998)
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