安藤美保 (あんどうみほ)
1967~ 1991年 東京都出身。歌人。
お茶の水女子大学文教育学部国文科卒業。大学在学中の1987年に「心の花」に入会。1989年に「モザイク」で心の花賞第一席を受賞。
短い歌の世界で若くして才能を開花させ、その短い生涯の中で鮮烈な足跡を残した歌人です。彼女の作品は、繊細な感情表現と深い洞察力で多くの読者を魅了しましたが、わずか24歳での事故にあいました。
神奈川湘南高等学校を卒業し、その後、日本の伝統的な文学に深い関心を抱き、お茶の水女子大学に進学しました。大学では文教育学部国文学科に所属し、古典文学、特に彼女の研究テーマは、九条良経(くじょうよしつね)という平安時代後期の公家であり歌人でした。優美で格調高い和歌を詠んだことで知られており、安藤美保は彼の作品に強い影響を受けました。
大学在学中の1987年、安藤美保は短歌雑誌『心の花』に入会しました。この雑誌は、歌人たちが作品を発表する場として多くの才能を世代出し続けてきた歴史ある媒体で、安藤もすぐにその才能を発揮しました。1989年には、自身の作品「モザイク」が高く評価され、『心の花賞』の第一席を獲得します。この受賞によって、彼女の名前は短歌の世界で広く知られるようになり、注目の若手歌人としての地位を確立しました。
大学を卒業後も学問の道を歩み、日本文学を専門にさらに深い研究を続けるため、大学院に進みました。しかし、その学問の途中で、彼女に突然の悲劇が訪れます。旅行で訪れていた比良山中での転落事故に遭い、帰らぬ人となってしまったのです。彼女が亡くなった時、まだ24歳という若さでした。その才能あふれる歌人が、これからさらに注目の作品を続けていたかと想像すると、その早すぎる死はあまりにも惜しい
安藤美保の死後、彼女が生前に書きためていた短いメモを集めた第一歌集『水の粒子』(ながらみ書房)が編集されました。この遺歌集には、美保が描いた繊細な感情と深い思索が詰まっており、彼女の才能が淡々と発揮された作品が数多く収録されています。 、日常の一瞬をとらえ、その中に広がる深い感情や自然との対話を表現しており、彼女の若い感受性がいかになく発揮されています
また、安藤美保が生前に綴っていた日記は、歌人・武藤康史によって編集され、『水夢抄(すいむしょう)』というタイトルでまとめられました。感情の、動きの創作の向こうが記録されており、彼女の内面世界をより深く知ることができる貴重な資料です。 この日記は短歌雑誌『短歌往来』で6年間連続連載されており、読者に深い感銘を与え続けました。
彼女の存在は後に作家小谷野敦の小説『美人作家は二度死ぬ』で、飛行機事故で予測する女子大学生のモデルとして描かれた。は後に『山室なつの生涯』として改題・再出版されましたが、その中で安藤美保のモデルとなったキャラクターが登場しています。
安藤美保 短歌
手の形母親と較べあっており夕食済みし食卓の上 『水の粒子』
木材でしきられた空間を住み処とし母は手長き蜘蛛に似ている
縄跳びをうならせて跳ぶ弧のさなか、父と我とが見つめ合うなり
君の目に見られいるとき私はこまかき水の粒子に還る
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