90年代マニラの記憶と紐解くフィリピン史。陽気な彼ら

1990年代のフィリピン・マニラの雨上がりの街並みをノスタルジックに描いたアニメイラスト。水たまりがある未舗装の道路を、カラフルなトライシクルが元気に走っている。背景には笑顔で手を振る地元の人々、古い建物、電線、そしてタガログ語の看板が見え、活気と生命力にあふれている。

蘇る90年代マニラの熱気と笑顔

 

旅の記憶と「文明の十字路」

現在、東南アジアの歴史や文化を深く理解するために、関連書籍を読み込む目標を個人的に進めています。その中で手に取ったのが、うらら美由紀氏の著書『大人も学生も夢中で読めるフィリピン史』です。

博士と学生の対話形式で進む本書は、7,000以上の島々が織りなすダイナミックな歴史を驚くほど分かりやすく解き明かしてくれます。そして、この本を読み進めるうち、私の脳裏には1990年代半ばにフィリピンを旅した時の、あのむせ返るような熱気と強烈な記憶が鮮明に蘇ってきました。

 

第1章:スペインとアメリカが交差する街。なぜ英語が通じる?

フィリピンは、スペインによる300年以上の統治と、その後のアメリカによる近代化教育という、異なる欧米文化の交差によって形作られました。この章では、その歴史的背景と、私が現地で感じた「アメリカナイズされた空気」について振り返ります。

アメリカナイズされた空気と下手な英語

1521年のマゼラン到達以降、スペインによる330年にも及ぶ統治が始まります。「レドゥクシオン(教会を中心に人々を集める政策)」によりアジア最大級のカトリック国となり、同時に過酷な労働や重税が人々を苦しめました。

その後、1898年からはアメリカの統治が始まります。アメリカは「善意ある同化」を掲げ、英語教育やインフラ整備を進めました。 私がマニラを訪陸した時、街の空気はどこかアメリカナイズされており、こちらの下手な英語にも気さくに対応してくれる人が多かったのを覚えています。東南アジアを多く巡ってきた私にとっても、フィリピンの「西洋とアジアが入り混じった独特の陽気さ」は際立っていましたが、それはスペインのカトリック文化とアメリカの近代化教育が地層のように重なり合ってできたものだったのです。

第2章:大洪水でトライシクルがストップ!それでもたくましい人々

独裁政権が倒れた後の混乱とインフラの脆弱さ。私が90年代半ばのマニラで見たのは、都市の未熟さと、それを笑い飛ばす人々の圧倒的な生命力でした。ここでは、マリキナでの大洪水体験と、マルコス政権の遺恨について触れます。

泥水の中の立ち往生とゴミの散乱

本書の後半では、独立後の混乱とマルコス独裁政権(1965〜1986年)について詳しく語られます。「クローニー資本主義」により側近が富を独占し、やがて1986年の「ピープルパワー革命」で政権は崩壊しました。

私が訪れた90年代半ばは、この革命から約10年後。かつての権力の象徴であったマラカニアン宮殿は、すでに博物館化し、静かに歴史を物語っていました。 一方で、市民の生活環境には独裁と汚職の傷跡が色濃く残っていました。街は治安が良いとは言えず、空港でチップを要求してくる輩もいました。何より驚いたのはインフラの脆弱さです。マリキナ市へ向かう途中、猛烈な大雨に見舞われました。コンクリートとも言えないような砂利混じりの未舗装の道はあっという間に冠水し、乗っていたトライシクル(三輪タクシー)が動けなくなり、泥水の中で立ち往生しました。川にはゴミが散乱し、水面が見えないほどでした。

本の中で描かれる「富の偏在」や「政治の腐敗」のツケを、現地のむき出しのインフラとして私はこの目で見ていたのだと、今になって痛感します。しかし、そんな中でも人々がどこか明るかったのは、歴史の中で何度も「レジリエンス(強靭さ)」を証明してきた国民性ゆえだったのでしょう。

第3章:「フィリピン時間」と、魔法の言葉「クマイン・カ・ナ?」

フィリピンの歴史は、植民地支配や独裁、自然災害といった試練の連続でした。この章では、そんな過酷な環境を生き抜くために彼らが身につけた「バハラナ(なるようになるさ)」という精神性と、そこから生まれるおおらかな文化について触れます。

「バハラナ(なるようになるさ)」の精神とおおらかさ

フィリピンの歴史は試練の連続です。古代の「バランガイ(共同体)」、スペインの圧政、日本軍の占領下での過酷な日々、そして独裁政権。しかし彼らは、どんなに苦しい時でも家族や仲間(バランガイ)と食べ物を分け合い、歌い、笑って生き抜いてきました。

私が現地で真っ先に洗礼を受けた「フィリピン時間」も、この「バハラナ(なるようになるさ)」の精神を体現していると言えます。約束の時間に誰も来ない(笑)。でも誰も怒らないおおらかさ。この細かいことは気にしないしなやかな精神は、過酷な歴史や自然災害を乗り越えてきた彼らが身につけた「しなやかな強さ」の表れなのだと歴史を通して腑に落ちました。

第4章:昭和のような人懐っこさ

決して豊かとは言えないインフラ環境にあっても、フィリピンの人々は圧倒的な生命力に溢れていました。私が90年代のマニラで強く惹きつけられた、日本の昭和30〜40年代のような温かい人懐っこさと、彼らの挨拶代わりの魔法の言葉について紹介します。

仲間と一緒に生き抜く精神

インフラは遅れ、決して豊かとは言えない環境。それにもかかわらず、私がフィリピンに強く惹きつけられた理由は、人々の圧倒的な生命力でした。

当時のフィリピンの人々は、どこか日本の昭和30〜40年代を思わせるような、人と人との距離が近い温かさを持っていました。彼らは顔を合わせると、挨拶代わりに必ずこう聞くのです。 「Kumain ka na?(ご飯食べた?)」

本によれば、フィリピンはスペイン、アメリカ、そして日本という国々に翻弄されながらも、自分たちのアイデンティティを守り抜いてきました。90年代のマニラで感じた、懐かしくも熱い生命力。それは、何があっても「仲間と一緒に食べて、笑って、生きていく」という、古代から続く共同体(バランガイ)の精神が、どの統治時代にも消し去られなかった証拠ではないでしょうか。

まとめ:歴史を知ることで、旅の記憶は色鮮やかに蘇る

読書を通じて、かつての旅の記憶が単なる「思い出」から、フィリピンという国の「深い理解」へと変わりました。歴史という羅針盤を持つことで、旅がどれほど豊かになるか、これからのこの国への想いについて、締めくくります。

これからフィリピンへ行く人へ

2022年、フィリピンではかつての独裁者の息子、マルコス・ジュニア氏が大統領に就任しました。外から見れば不思議に思えるこの歴史的な「復権」も、複雑な歴史の文脈を知ることで見え方が変わってきます。

フィリピンは「レジリエンス(強靭さ)」の物語。困難を笑顔で跳ね返す強さを持った国です。「Kumain ka na?」の明るさの裏にあるダイナミックな歴史を学び直した今、当時の少し怖かったマニラの治安や、チップを要求された空港での苦い思い出さえも、多層的な歴史の一片として愛おしく感じられます。

これからフィリピンを訪れる機会がある方は、ぜひこのダイナミックな歴史の背景を少しだけ頭に入れてみてください。陽気な彼らの「Kumain ka na?」という声が、より一層温かく心に響くはずです。あの時出会った陽気で親切な友人たちの笑顔を思い浮かべながら、これからもこの国の歩みを見守っていきたい、そんな風に強く感じた一冊でした。

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