【月を詠む心の変遷14選】 恐れる神から風雅な友へ― 日本人と月の千年物語

2025年3月14日の月

2025年3月14日の月

月の歌の歴史

日本文学における月のイメージは、時代とともに大きく変遷してきました。最古の文献『日本書紀』では、月読命という荒々しい男性神として描かれ、その凶暴な性格ゆえに夜の世界へ追放されたとされています。この時代、月夜は人々にとって恐怖の対象でした。

しかし、奈良時代から平安時代にかけて、社会が安定し平和な時代を迎えると、月のイメージは大きく変化します。万葉集中期以降、月は次第に優美で風雅なものとして詠まれるようになりました。「春日にある御笠の山に月の舟」という歌に見られるように、月は風流な遊びの友として、また恋の案内人として親しまれるようになったのです。

平安時代に入り、『古今和歌集』の時代になると、月の捉え方はさらに深化します。それまでの生活に密着した存在から、より観念的な思いの対象となっていきました。特筆すべきは、この時期に中国からもたらされた「仲秋の名月」の風習です。菅原道真らの知識人によって取り入れられ、やがて宮中にも広まっていきました。

大江千里の「月見ればちに物こそかなしけれ」という歌は、この変遷を象徴する重要な作品です。ここでは月に対して、恐怖でも歓楽でもない、「かなし(しみじみとした感慨)」という新しい感情が詠まれています。月は時間の流れや無常を象徴する存在として捉えられるようになり、より哲学的・観想的な題材へと昇華されていったのです。

このように、日本の和歌における月のイメージは、恐るべき神から風雅な友へ、そして時の流れを象徴する哲学的な存在へと変化していきました。これは単なる文学的な変遷だけでなく、日本人の自然観や美意識の深化を表すものでもあったといえるでしょう。

『古今和歌集』『新古今和歌集』以降、月のイメージはさらなる変遷を遂げていきます。特に注目すべきは、仏教思想との融合です。月は仏法の明快さや諸仏の尊厳を表すシンボルとして、新たな意味を獲得していきました。

この転換点を象徴するのが、西行の「にし闇はれて心のそらにすむ月は 西の山べやちかくなるらん」という歌です。この作品は、それまでのセンチメンタルな月の捉え方から一歩進み、宗教的な悟りの境地を表現しています。月への美意識は、ここで最高峰に達したと言えるでしょう。

近世に入ると、連俳の隆盛とともに月は花と並ぶ重要な題材となります。特に注目すべきは、月の細かな分類化です。朧月(春)、夏の月、名月(秋)、後の月(秋)、冬の月など、季節ごとに異なる情趣が付与されました。

それぞれの月には、独自の意味が込められています。朧月には恋の楽しさが、夏の月には夜遊びの高揚感が、秋の月にはしみじみとした感慨が、そして冬の月には原初の男性性が引き継がれました。特に歳時記における月の項では、わびさびの世界観が色濃く表現され、俳諧における美意識の確立に大きな影響を与えました。

このように、日本の詩歌における月は、仏教的な悟りの象徴から、季節ごとの繊細な感性を表現する題材へと発展し、日本の伝統的な美意識の形成に重要な役割を果たしてきたのです。

月を詠んだ歌

春日にある御笠の山に月の舟出づ風流上の飲む酒坏に影に見えつつ

月見れば千ゞにものこそかなしけれわが身ひとつの秋にはあらねど/大江千里

闇はれて心のそらにすむ月は西の山べやちかくなるらん/西行

月よみの光りおし照る 山川の水/磧のうへに、/満ちあふれ行く 釈迢空

軍隊が全くなくなりあかあかと根源の代のごとき月いづ/斎藤茂吉

呼べば谺男は男山は山満月の夜の山に冴えゆく/佐佐木幸綱

病める児はハモニカを吹き夜に入りぬもろこし畑の黄なる月の出/北原白秋

あまりにも白き月なりさきの世の誰が魂の遊ぶ月夜ぞ/佐佐木信綱

をとめらが泳ぎしあとの遠浅に浮環のごとき月うかびいでぬ/落合直文

月面に脚が降り立つそのときもわれらは愛し愛されたきを/村木道彦

びつしよりとこころぬらして庭にたつわれの真上の三角の月/加藤克巳

わが心の中にしづもりかへる月光の冷たき茫漠さより逃るるすべなし/斎藤史

月光の市電軋みて吊革に両掌纏かれしわれの磔刑/塚本邦雄

水滴のひとつひとつが月の檻レインコートの肩を抱けば/穂村弘

 

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