長沢美津(ながさわ みつ)
1905年11月14日 – 2005年4月26日 日本の歌人、国文学者。
昭和から平成時代に活躍した著名な歌人で、日本文学と短歌の世界で高く評価されています。石川県金沢市出身で、才能あふれる女性歌人として知られました。
日本女子大学に在学中に短歌に興味を持ち、古泉千樫(こいずみちかし)に師事。古泉千樫の指導を受けながら、若い頃からその才能を発揮し、歌人仲間たちとともに「青垣」の同人として短歌活動を開始しました。一歌集『氾青(はんじょう)』を研究し、その豊かな表現力と感性は、短歌界に大きな影響を与えました。
美津は後に「女人短歌」誌の編集代表を務める。彼女は歌人の新しい才能を育成し、女性歌人が社会で活躍する道を広げるために全力を尽くしました。
1962年に「女人和歌大系」を刊行。この研究によって、長沢美津は「現代短歌賞」を受賞。彼女の作品は多くの人々に支持され、時代を超えて評価されました。
1992年(平成4年)には「歌会始まりの召人(めしうど)」として適宜の歌会にも招かれました。長年にわたって美津の短歌活動と貢献が最高の形で評価されました。
長沢美津の代表的な歌集には『雪』や『部類長沢美津家集』 などがあり、これらの作品は、彼女が人生を通じて培ってきた視点や繊細な感性、そして時代を超えた一般的なもの美津の作品は、深い感情と独特の情景が込められており、今なお多くの読者に感銘を与え続けています。
長沢美津 短歌
石蕗の蕾ふつふつとあげくるに今年の秋とわかるる思ひ
この世から我が去りても美しく花咲くならむ庭の紅千鳥ちどり 『輪廻』
人生の終末近し手を振りてさらばさらばよ我とわが身に
襟巻きして帽子かむれば爺さんか婆さんかもわからずなるらし
まるけれどいまだは咲かぬ紫陽花の花をうごかし雨ふり出でぬ
頬の肉強くゆりつつ汝が呑むは今わが身ぬちになりし新母乳
雪の上にのこりしつひの足跡を見にゆかむとしてひきとめられぬ 『雪』
名をよべばふりむく思ひいつとなくくり返しをよびなれし名を
逝きし子の再びかへらぬことだけが日毎にたしかになりてゆくなり
さす指の先をどこまでのばすなら心しづまる処にとどく
三人の子歩みてゆくを遠みれば大きなるも小さし小さきは更に小さき 『垂水影』
絵そらごと非在のものを恋ふなればあたり明るむ月なき夜にも 『墨雫』
五十代は飛ぶやうに六十代は跳ねるごとくに去りてゆきたり 『五黄』
禅宗の家に生まれて釈迦牟尼佛 真言に嫁し南無阿弥陀仏 『輪廻』
紫の終刊号を手にしたりなにもかもこれにておしまひ 『輪廻』
はからずも仰ぎたる空に虹ありて美しかりき 涙ながれぬ
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