土田 耕平 (つちだ こうへい)
1895年~1940年 長野県に生まれ。歌人。童話作家。
1911年旧制諏訪中学(長野県諏訪清陵高等学校)を中退。同郡玉川村立玉川小学校の代用教員となる。島木赤彦に師事し『アララギ』に投稿、編集に携わる。赤彦が樹立した自然詠の骨法とか、作歌信条としての倫理性 (鍛練道)を忠実にうけ継ぎ、一つの道を果 てまで歩いた詩人である。20代で伊豆大島で孤独な生活を送った時の作品は歌集 『青杉』となって、大正末期の歌壇に衝撃 をあたえた。
繊細で純粋な自然詩人の系譜に立つ一人で、病弱の身をはげましながら作歌を宗教的境地にまで深化した。45歳で没した。
土田 耕平 短歌
おしなべて光る若葉となりにけり島山かげに居啼く鶯 『青杉』
風しげく椿の藪を吹き揺する葉がくれの花葉おもての花
久方の天のそぎへに真壁なす信濃の嶺ろは雪かづきたり
山の根におのづからなる靄の凝りあはれと思ふ春は暮れにし
うら葉みな冴え光りつつあか橿の幹たくましく貫き立てり 『一塊』
土田 耕平 著作
1922年『青杉 歌集』古今書院 アララギ叢書
1924年『鹿の眼 童話集』古今書院
1926年『蓮の実 童話集』平福百穂絵 古今書院
1928年『原っぱ 童話集』古今書院
1932年『夕焼 童話集』古今書院
1934年『土田耕平童話鈔』上伊那郡教育会
1936年『裾野 童話集』古今書院
1941年『一塊 歌集』古今書院 アララギ叢書
1942~1943年『土田耕平遺稿』全3巻 古今書院
1949年『土田耕平童話集』信濃毎日新聞社
1955年『童話集』全5巻 古今書院
1974『青杉 歌集』謙光社 後、短歌新聞社文庫
1985~1987年『土田耕平著作集』全4巻 謙光社 〈参考: フリー百科事典〉
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