【中学生】以上に知ってもらいたい短歌。『五島 美代子』

五島美代子(ごとうみよこ)

1898~1978年東京生まれ。 歌人。本名:美代。

父は歌人・動物学者の五島清太郎。夫は歌人・経済史学者の五島茂。

17歳で佐佐木信綱に師事。病弱のため検定により免許状を得て、晚香女学校の教壇に立つ。のち東大文学部聴講生、研究生として学ぶ。

石榑千亦いしくれちまたの三男、茂と結婚。夫とともに新興歌人連盟に参加。歌誌「尖端」を創刊するなどプロ タリア短歌に近づくが、後脱退して作歌を中断。

夫の留学に伴い渡欧、帰朝後「心の花」に復帰した。1936年第一歌集『暖流』刊行。1938年「立春」創刊。1940年『新風十人』に参加。

戦後、女人短歌会に 尽力。『暖流』以後の四歌集より編んだ『母の歌集』、増補後の『新輯母の歌集』により名声を得る。

胎動に始まる母子の交流の情を美しく細やかに歌い、成長する我が子に対する愛情、喜びなどを歌にし、「母の歌人」と呼ばれる。急逝した長女を歌った、哀惜の情あふれる歌も多い。

うつそみのいのち一途になりにけり生れまく近き吾子を思へば『暖流』

胎動のおほにしづけきあしたかな吾子の思ひもやすけかるらし

窓から外をだまって見てゐる吾子をふと自分かと思ったあとのこの胸の動悸

あけて待つ子の口のなかやはらかし粥運ぶわが匙に触れつつ『丘の上』

ひたひ髪吹き分けられて朝風にもの言ひむせぶ子はいとけなし

恋人の如く責めあひて母と子はつひにしづかに手つないで寝る『風』

乳の香にまみれて過ぎしいく年は満ち足らひたりき靄の如きものに

花に埋もるる子が死顔の冷めたさを一生ひとよたもちて生きなむ吾か

わがたいにはぐくみし日の組織などこの骨片には残らざるべし

祖父父母とつぎつぎけて伝へたる血に疲れありとつぶやく吾子は 『炎と雪』

子をうみしおぼえある身にひびき来て吾子のみごもりいや深むころ『時差』

生きるといふ大きなること紫のすみれの色と今一つなり『花激つ』

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