川田順 (かわだじゅん)
1882~1966年 東京都出身。 歌人、実業家。
東京帝国大学文科に入学するも、翌年法科に転じ、卒業後は大阪の住友本社に入社して退職まで実業家として歩む。
1897年竹柏会に入門し、佐佐木信綱に師事する。1918年第一歌集『伎芸天』を刊行。
当初、浪漫的歌風であったが、窪田空穂を知るにつれて、写実的傾向をみせるようになり、第三歌集『山海経』を刊行する。
戦後は東宮の作歌指導の任に当たり、歌会始選者にもなったが、1949年に元大学教授夫人鈴鹿俊子との恋愛事件が生じて辞し、京都から関東へ移る。この間の作品は、1952年『東帰』に収録、異彩を放っている。
月の入りし後の空虚を寂として深夜の天の横たはるかも 『伎芸天』
くらき夜の大寺を吾が出でくれば薊の花に稲妻のしつ 『山海経』
立山が後立山に影うつす夕日の時の大きしづかさ 『鷲』
たたかひは朕が志ならずと宣り給ふ大詔勅にいのちは捨てむ 『史歌大東亜戦』
相触れて帰りきたりし日のまひる天の怒りの春雷ふるふ 『東帰』
『食用菊』 撮影ろいち 他画像
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