長塚 節(ながつか たかし)
1879~1915年 茨城県出身。小説家、歌人。正岡子規の高弟。
茨城県岡田郡国生村(現在の常総市)の豪農の家に生まれる。1900年、21歳のとき上京。根岸庵に子規を訪れて入門。その後、兄弟子の伊藤左千夫らとともに根岸短歌会の一員として活動。伊藤左千夫は、子規と節の師弟関係 を〈理想的愛子〉と呼んだ。節は、子規から文学を継承したばかりでなく『君ハ自ラ率先シテ君ノ村ヲ開カネバナラヌ』という農村改革の使命をも遺訓として享けた。
歌人としては、「写生の歌」と自らよび、初期の万葉調から独自の写生の歌風で気品をたたえた自然詠をつくった。
また、散文の方が切実な感情を表現できると考え、一時歌から離れたが、1911年の喉頭結核発病を契機に作歌を復活。「気品」や「冴え」という精緻の芸術観を深め、晩年に「鍼の如く」の大作に結実した。また、写生文「炭焼のむすめ」や 小説『開業医』など散文にも力を注いだ。1910年、夏目漱石の推薦もあり、朝日新聞に長期連載された『土』は、 農民の生を描いた迫真的な小説である。
長塚 節 著作
1928年『新釈長塚節歌集』紅玉堂書店
1930年『長塚節歌集 』春陽堂
1940年『新選長塚節集』新潮社
1947年『長塚節歌集』鎌倉書房
1950年『長塚節歌集』岩波文庫
1951年『長塚節全歌集』宝文館
1966年『長塚節全歌集』鷺の宮書房
1971年『長塚節歌集』旺文社文庫
1975年『長塚節歌集』崙書房
1993年『長塚節歌集』短歌新聞社
参考〈フリー百科事典〉
長塚 節 短歌
暁の水にひたりて鳴く蛙涼しからんとおもひ汗拭く 『長塚節歌集』
秋雨のしげくし降れば安房の海たゆたふ浪にしぶき散るかも
秋の野に豆曳くあとにひきのこる莠がなかのこほろぎの声
朝まだき涼しき程の朝顔は藍など濃くてあれなとぞおもふ
稲刈りて淋しく晴るる秋の野に黄菊はあまた眼をひらきたり
歌人の竹の里人おとなヘばやまひの床に絵をかきてあり
うつつなきねむり薬の利きごころ百合の薫りにつつまれにけり
馬追虫の髭のそよろに来る秋はまなこを閉ぢて想ひ見るべし
おそろしき鏡の中のわが目などおもひうかベぬ眠られぬ夜は
かぶら菜に霜を防ぐと掻きつめし栗の落葉はいがながら敷く
葉鶏頭の八尺のあけの燃ゆる時庭の夕はいや大なり
桔梗の花ゆゑ紙はぬれにけり冷たき水のしたたれるごと
鶏頭は冷たき秋の日にはえていよいよ赤く冴えにけるかも
白埴の瓶こそよけれ霧ながら朝はつめたき水くみにけり
西瓜割れば赤きがうれしゆがまへず二つに割れば矜らくもうれし
吸物にいささか泛けし柚子の皮の黄に染みたるも久しかりけり
すべもなく髪をさすればさらさらと響きて耳は冴えにけるかも
垂乳根の母が釣りたる青蚊帳をすがしといねつたるみたれども
筑波嶺ゆ振りさけ見れば水の狭沼水の広沼霞たなびく
日に干せば日向臭しと母の言ひし衾はうれし軟かにして
頬の肉落ちぬと人の驚くに落ちけるかもとさすりても見し
目にも見えずわたらふ秋は栗の木のなりたる毬のつばらつばらに
わびしくも痩せたる草の苅萱は秋海棠の雨ながらみむ
耳成の山のくちなし樹がくりに咲く日の頃は過ぎにけらしも
コメント