【佐佐木 幸綱】知っておきたい古典~現代短歌!

サザンカ

サザンカ

佐佐木幸綱(ささきゆきつな)

1938年~、東京都生まれ。歌人。

歌人で万葉学者の佐佐木信綱の孫。佐佐木家は弘綱・信綱・治綱と続く代々の国文学者で歌人の家系である。長男の佐佐木頼綱、次男の佐佐木定綱も歌人である。

幼少期から歌を作っていたが、早稲田大学在学中の20歳の時に、父の佐佐木治綱が突然の他界に遭って本格的に作歌を始める。早大短歌会も所属。また、祖父が1898年に創刊した「心の花」 にも参加する。大学院修了後、出版社に勤務した。

1961年、東京歌人集会に参加。1974年から「心の花」編集長を務める。

1961年、安保闘争後の懐疑的な風潮を批判した最初の歌論「奪いかえせ」を発表。

1970年、第一歌集『群黎』を出版。現代歌人協会賞受賞。( 無頼たれ されどワイシャツ脱ぐときのむざむざと満身創痍のひとり )『群黎』に代表された、闘争敗北後の満身創痍を恐れぬ無頼への志向が熱く歌われている。

その他歌集に『直立せよ一行の詩』『夏の鏡』『金色の獅子』『瀧の時間』 『旅人』『呑牛 』『逆旅 』などを刊行。男性的な魅力にあふれた、生命本能重視の歌を詠む。

評論に『萬葉へ 』『極北の声』『柿本人麻呂ノート』『中世の歌人たち』『万葉集東歌』『東歌』など。朝日歌壇選者も務めた。現代歌人協会前理事長。

 

佐佐木 幸綱 短歌

一生は待つものならずさあれ夕日の海驢あしかが天を呼ぶ反り姿 『群黎』

イルカ飛ぶジャック・ナイフの瞬間もあっけなし吾は吾に永遠とわに遠きや

海を打つわが手わが足 内側でとどろとどろとなに打たんとす

英雄は寒くしずかに尿いばりする十八世紀パリのひとりも

俺を去らばやがてゆくべしぬばたまの黒髪いたくかわく夜更けに

犀の交尾を思う思いを遂げしとき雄犀激しく清しきならん

死がすなわちはがねのごとき寒さなら遅れし吾も今日寒くいる

ジャージーの汗滲むボール横抱きに音駆けぬけよ吾の男よ

吊皮の環の白き列 宙吊りの日常の手の群を射とめよ

茄子色にみるみる腫れて来しあたり眼をねらえ眼を俺は熱くなる

夏草のあい寝の浜の沖つ藻の靡きし妹と貴様を呼ばぬ

なめらかな肌だったっけ若草の妻ときめてたかもしれぬ

敗者でもない勝者でもない逆立ちの象疑問符を倒立させて

「卑怯とは?」語る自分に恥多きゆえ語りゆく学生の前

肥り気味の黒豹が木を駆け登る殺害なさぬ 日常淫ら

無頓たれ されどワイシャツ脱ぐときのむさむざと満身創痍のひとり

胸に広がる荒野みるみる駆けて来る裸馬 熱き馬肉食えば

ゆく秋の川びんびんと冷え緊まる夕岸を行さしずめがたきぞ

寄せては返す〈時間の渚〉ああ父の戦中戦後花一匁はないちもんめ

世に聡く生きたるむくいある男が銅像となりて立ちいつ

サキサキとセロリ噛みいてあどけなきなれを愛する理由はいらず『男魂歌』

秋の穴のぞくあの子はあばれ者あれあれ明日天気になあれ 『直立せよ一行の詩』

あしびきの山の夕映えわれにただ一つ群肝むらぎも一対の足

いま言わざれば言えぬ数々口腔にひしめく時し土砂降りの雨

おお朝の光のたばが貫ける水、どのように生きても恥

かつて戦艦陸奥と呼ばれし日のありて鉄が吐き出す水をさびしむ

感動する鬼おおわが鬼一瞬にえよ雪降る沖を漕ぐなり

傷が輝くという嘘いつわりの美しさ別れし日よりなぐさめとする

君は蹴る父の扉をさんさんと蹴れば新鮮な肉の痛みよ

君は信じるぎんぎんぎらぎら人間の原点はかがやくという嘘を

きらきらの霜の鉄棒にぶら下がり青年の愛朝をがるる

さらば象さらば抹香鯨たち酔いて歌えど日は高きかも

白雲白壁白い少女を許すとて紅の雲わきたてる見ゆ

竹に降る雨むらぎもの心冴えてながく勇気を思いいしなり 

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