乳房と古典
「乳房」という言葉が現代では主に女性の性的なシンボルとして認識されていますが、古代の日本文学、特に和歌においては、全く異なる意味合いを持っていました。現代のセクシュアリティとは無縁であり、むしろ「母性」や「養育」を象徴するものとして扱われていたのです。
たとえば、古代の和歌や歴史的な記述の中で「乳房」という言葉は、女性の身体的特徴に焦点を当てるのではなく、母親としての役割や、子を養育する母の存在を強調するものとして描かれていました。ここで注目されるのが、枕詞「たらちねの母」という表現です。「たらちねの」は、古代の日本文学で母親を指す言葉として用いられており、これにより母性の象徴としての乳房の役割が強調されていたことがわかります。「たらちねの母」は、授乳や養育の象徴としての女性像を描き出す枕詞として使用され、乳房が母親としての象徴であることが、和歌を通じて語られてきました。
また、当時の文学作品や詩歌では、乳房そのものを具体的に歌に詠み込む習慣はほとんど見られません。女性の身体的な美しさや性的魅力を歌うことよりも、母親としての役割や、女性の精神的な側面が重んじられていたのです。たとえば、母親が子を思う気持ちや、子を育てる中での苦労や喜びが和歌の中で中心的なテーマとなり、乳房はその象徴的な一部として描かれていたと考えられます。
このように、乳房が現代のセクシュアルな象徴とは異なる形で描かれてきた背景には、当時の社会や文化の価値観が大きく影響していたといえるでしょう。古代の日本では、女性の美しさや性を強調するよりも、母性や家庭の中での役割が重要視されていました。乳房が母性や養育の象徴として捉えられていたことは、当時の価値観や女性の役割に対する社会的な期待を反映しています。
この視点から見ると、和歌や古典文学における「乳房」の描写は、単なる身体的な特徴の表現ではなく、女性の役割や母性を讃える重要な要素であったと言えます。乳房が母性の象徴として詠まれ、母親の愛情や養育の姿を描いた作品は、古代の日本文学において多く見られますが、それは決して性的な意味合いを持つものではありませんでした。
現代では、乳房はセクシュアリティの象徴としての役割が強調されがちですが、和歌や古典の世界では、乳房は「母」としての女性の役割を象徴するものだったのです。
乳房 短歌
たらちしの母が目見ずておほほしくいづち向きてか我が別るらむ/山上憶良
緑児の為こそ乳母は来むと言へ乳飲めや君が乳母求むらむ/作者不詳
乳ぶさおさへ神秘のとばりそとけりぬここなる花の紅ぞ濃き/与謝野晶子
春みじかし何に不滅の命ぞとちからある乳を手にさぐらせぬ/与謝野晶子
たらちねの母が乳房に寄りねむり一つの蜜柑小さ手に持つ/伊藤左千夫
昼の湯の光は寂し黒みたる女の乳を我は見にけり/島木赤彦
唇を捺されて乳房熱かりき癌は嘲ふがにひそかに成さる/中条 ふみ子
小さくなりし1つの乳房に触れにけり命終わりてなほあたたかし/清水房雄
乳房はふたつ尖りてたらちねの性のつね哺まれんことをうながす/上田三四二
ブラウスの中まで明かるき初夏の日にけぶれるごときわが乳房あり/河野裕子
魂を拭えるごとく湯上がりの湯気をまとえる乳をぬぐえり/阿木津英
乳ふさをろくでなしにもふふませて桜終はらす雨を見てゐる/辰巳泰子
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