坂上 是則(さかのうえの これのり)
生没年不詳。三十六歌仙の一人。平安時代前期~中期にかけての貴族・歌人。右馬頭・坂上好蔭の子。官位は従五位下・加賀介。蹴鞠の名手でもあったといわれる。
あさぼらけ~は『小倉百人一首』31番に入集している。
あさぼらけ有明の月と見るまでによしのの里にふれる白雪 『古今和歌集』
『夜が明ける頃に、有明の月かと思うほど明るく感じるのは、月光と見まごうほど吉野の里に振っている白雪のせいだろうか』
さほ山のはゝその色はうすけれど秋はふかくもなりにける哉
古今和歌集
平安時代前期の勅撰和歌集。略して「古今集」歌数約千百首、全二十巻。
905年醍醐天皇の勅命以後に成立。
撰者は紀貫之、紀友則、壬生忠岑、凡河内躬恒の4人。
漢詩文全盛から国風尊重へ 史的評価時代の流れを変えた最初の勅撰和歌集として、後世まで最も尊重された。韻文・散文を問わずのちの文学に与えた影響は大きく、歌の規範とされた。
また、仮名で書かれた書物が公的な性格を与えられたことは、平安文学全般にとっても重要な意味をもつ。紀貫之の仮名などを用いた優序は本格的な文学論であり、六歌仙の評にみられる。
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