山田 あき (やまだ あき)
1900年~1996年 新潟県生まれ。 歌人。 本名、坪野つい
大地主の家に生まれ、生家に農民が作った米を運ぶのを子供ながらに不思議に思ったことが、社会意識の出発であったと言う。高田高女卒。
1929年(昭和4)プロレタリア歌人同盟に加わり、自由律短歌を発表する。そのころ、坪野哲久と出会い結婚。1936年(昭11)哲久、大井良らと「鍛冶」を創刊する。思想弾圧の下で病臥の夫を支えてさまざまな仕事をしながら生活をたてた。
1946年(昭和21)「人民短歌」に参加。同年、休刊していた「鍛冶」を復刊。
1978年(昭和53)「氷河」を哲久ら主要同人とともに創刊。
山田 あき 歌集
1951年 歌集『紺』(歌壇新報社)
1976年 歌集『遺響』(現代歌人叢書)
山田 あき 短歌
雨樋をつたはりあそぶ子らいくたり黄色の皮膚愛し幼し 『紺』
石垣の崩れにふれてはずみ飛ぶ蝶のつばさも夏のかがやき
男下駄足にとり履きくだりゆく星座静かにうつくしき坂
きみとみるこの夜の秋の天の川いのちのたけをさらにふかめゆく
黒土のゆるきなだれに茶の花咲きものおもヘわれの年翔びうせぬ
鶏頭のひらめく影を踏みきたりわれは物売のなみだも知れり
戦に子を死なしめてめざめたる母のいのちを否定してもみよ
闘ひにもゆる思ひをわかち持ち秋は秋としいろにじましむ
電柱に背をもたせかけいまここに迫りしものを書きとらむとす
茫々と風渦白き底に佇つしやごはきわれのこの手組むは誰
ゆたかなるララの給食煮たてつつ日本の母の思ひはなぎず
連翹の花にとどろくむなぞこに浄く不断のわが泉あり
みずからの選択重し貧病苦弾圧苦などわが財として 『飛泉』
病むきみにつね添うる手のひそかなれ白鳥老いて霜の羽交す 『流花泉』
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