滝沢亘(たきざわ わたる)
1925~1966年 群馬県生まれ。歌人。
立正大学に入学するが胸部疾患のため中退。戦中の1942年「多磨」に入会。1953年「形成」の創刊にも参画する。木俣修に師事。『白鳥の歌』と『断腸歌集』の二著 がある。
少年時より肺病と闘い、サナトリウム(結核療養所)に入りながら作歌活動を続けた。1966年41歳で没。
肺患に苦しめられた自己の「病」をテー マとしながらも、「病」の根っこにある死と生を相対的にとらえ、伝統的な歌風 のようにみえながら直喩と暗喩をみごとに 駆使して形象化し、新風とよばれた。
滝沢亘 短歌
あかときにあといく刻ぞ血を喀きしわがしくしくに光欲りつも 『白鳥の歌』
裏見せて網戸にすがる冬の蛾がしきりに過去の拙なさを呼ぶ
心弱りて赤鉛筆を削りをり言ひ難きまで材やはらかし
妻子なく病めるこころは疲れつつ朱き金魚を夜に見てゐたり 『断腸歌集』
時雨ふる土の傾斜を見てゐたり不治のこころは騒然として
私語のごと雨こまやかにめぐる午後魂濡れて臥すと言ふべし
てのひらに稚きトマトはにほひつつ一切のものわれに距離もつ
ながき経過のごと蝉啼けり癒えたくて励みしころを青春とせむ
刃を噛みしチーズはげしくにほふかな何為して人は四十となる
水色の盥に濯ぐところ過ぎ郷愁のごと遠き貧あり
わが内のかく鮮しき紅を喀けば凱歌のごとき木枯
風落ちし冬樹のほとりしづかにて人亡きあとのごとく日が射す
北風にのりて夜汽車の音ながし一つの時代まざまざと終ふ
火に落ちし髪一すぢが玉なして灼け終へしとき寂しさは来つ
一代で終るいのちにふと気付く唾涸れてたどりつきしベッドに
サモンピンクの空は流れのごとくにてかく美しき日もさまざまに死す
かすかなる貧血のして跼むとき餃子(ギョウザ)は炒らるひるのテレビに
ウェディングマーチの鳴れるテレビよりのがれ来りて複雑にゐつ
トウシューズにゆらぐ少女のフォーム見つ一つの愛の終るテレビに
枯れてゆく思想といへば嘘にならむひらめきやめぬ夜のブラウン管
民衆がその同胞を撃たむとしさびしきかなテレビに淡雪は降る
キャラメルの函にてつくりしエッフェル塔とどまりがたき夕光に置く
われもまた stray sheep 茫々とさびしき午後の部屋に首振る
米兵の愛の手紙を訳しやる女の好む言葉まじへて
オープンカー疾駆し去れりすこやかに富む者のもつ明快を見よ
禁犯し掌よりミルクを与へをり秘楽めきつつ粗き猫の舌
頒ちたるチョコを車中にて唇にすと書きよこす乙女よ再び病むな
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