柴生田 稔(しぼうた みのる)
1904年6月26日~1991年8月20日 三重県生まれ。歌人。国文学者。
1926年(大正15)東京帝国大学文学部哲学科に入学したが翌年退学して、同大学文学部国文学科に入学。その年12月、斎藤茂吉に出会う。「アララギ」にはいり、斎藤茂吉に師事。1941年(昭和16)歌集「春山」を刊行。清純な叙情の作風で注目される。1966年(昭和41)「入野」で読売文学賞。
柴生田 稔 短歌
いもうとのかけしレコードの楽きこゆ父はいつしか出で行きぬらし
帯の高さ気にして兄に問ふ汝は恋ふべき母の記憶を持たず
鴨鳴くとなげきし皇子にしたがひて素足に走り死にし姫はも
国こぞり力のもとに靡くとは過ぎし歴史のことにはあらず
時すぎて人は説かむか昭和の代のインテリゲンチャといふ問題も
何もかも受身なりしと思ふとき机のまへに立ちあがりたり
やすやすと抱くフランスの映画見て妹とおそく帰り来にけり
わが心なにに迫り来見はるかすこのよき国のうまし山河
砂の上に死ぬる駱駝の心をも今夜悲しみ夜ふけむとす 『入野』
かくのごと朝は寒しと立ち上り袖あるシャツをまとひて坐る 『冬の林に』
柴生田 稔 著作
- 『春山』墨水書房, 1941
- 『麦の庭』白玉書房, 1959
- 『入野』白玉書房, 1965
- 『南の魚 柴生田稔歌集』短歌新聞社 1975
- 『斎藤茂吉伝』正続 新潮社, 1979-81
- 『万葉の世界』岩波書店, 1986
- 『短歌写生説の展開』短歌新聞社, 1987
- 『公園』短歌新聞社, 1990
- 『柴生田稔歌集』清水房雄編 短歌研究社 1992
- 『思い出す人々 わが点鬼簿より』短歌新聞社, 1992
- 『アララギの山脈 近代歌人論』笠間書院, 1995
- 『斎藤茂吉を知る』笠間書院, 1998
- 『月雪花の伝統 古典和歌の論』笠間書院, 2002
- 『短歌と共に』笠間書院, 2004 〈出典: ウィキペディア〉
アララギとは
『短歌結社』またはその機関誌。1908(明治41)年、正岡子規の写生説を受け継ぎ、伊藤左千夫らが創刊。その後、島木赤彦・斎藤茂吉・土屋文明らが編集にあたる。『万葉集』を旨とし、写実の道を深め歌壇の主流を占めた。1997(平成9)年まで、90年にわたって 歌壇のもっとも大きな勢力として、近代短歌に大きな足跡を残した。
1903年6月、伊藤左千夫によって創刊された根岸派の機関誌「馬酔木」がアララギの源流である。「馬酔木」が解散するとと もに、1908年1月、若い三井甲之に編集をまかせて新しく「アカネ」がスタートした。
「アカネ」には「馬酔木」以来の同人がそのまま参加したが、やがて甲之と左千夫との間の軋轢が生じ、 左千夫らは、蕨真一郎(蕨真)を編集兼発行人として「阿羅々木」を出すことにより、「アカネ」を脱退、分離した。
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