万葉集で輝く才女【大伴坂上郎女】の生涯と3000年の魅力『5選』

芍薬

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万葉集を彩る才女・大伴坂上郎女~その生涯と名歌~

大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ)は、奈良時代の日本で活躍した女性歌人のひとりであり、『万葉集』に多数の和歌を残したことで広く知られています。父は大伴安麻呂、母は石川内命婦とされ、兄弟姉妹には大伴稲公、異母兄に著名な大伴旅人がいます。その血筋からも、文化や詩歌に親しむ名家に生まれたことが窺われます。

生没年は定かではありませんが、彼女の歌や交流関係から奈良時代前半、すなわち8世紀初頭から中頃にかけての人物であるとみられています。女性として、また一流の歌人として、多彩な感性と人間観察力に優れ、現代でも心に響く多くの歌を『万葉集』に伝えています。

名門に生まれ育った才女

大伴坂上郎女は大伴氏の名門に生まれ、その家系は日本の古代国家を支えた有力氏族でした。父・大伴安麻呂は武人であるとともに、文化人としても知られており、母の石川内命婦も教養ある女性でした。兄弟姉妹もまた、歌人や政治家として名を成し、特に異母兄である大伴旅人は『万葉集』前半を代表する大歌人として著名です。

幼少より家族の影響を受けながら、幅広い教養を身につけ、和歌のみならず当時の宮廷文化や社会事情にも通じていました。その養育環境は彼女の感性や観察力、文学的才能を大いに伸ばしたと考えられます。

多彩な交流と歌作の軌跡

坂上郎女の生涯は、歌集成立過程の奈良宮廷社会と深く結びついています。彼女は家族や親族を対象とした歌、旅に赴く親しい人々への餞別歌、親子や恋人、友人との間で詠まれたやりとり歌など、多岐にわたる場面で和歌を詠みました。
特に大伴旅人や大伴家持など、文学に通じた肉親や親しい人々との間で、「贈答歌」と呼ばれる歌の応酬を多く残しています。

こうした和歌のやりとりには、文才や人柄だけでなく、家族を想う深い愛情、女性としての切実な心情、また時代を生き抜く知恵やユーモアも見て取れます。歴史に残るエピソードとしては、親しい人への思いや、子を想って詠んだ歌、人生の故郷を詠む歌など、人生の機微を豊かに表現しました。

歌集発表と創作の歩み

大伴坂上郎女自身による個人歌集は伝わっていませんが、『万葉集』には彼女の歌が実に80首以上収録されています。

  • 717~718年(養老元~2年)頃──大伴氏一族の大宰府赴任や別離を詠んだ歌
  • 720年ころ──親しい家族や子供への愛情を詠んだ歌
  • 730年代~天平年間(729~749年)──家族や友人の旅立ち、集い、日常の思い
  • 晩年──人生を省みる歌や、孫世代へのまなざし

優しさと人間味あふれる人柄

大伴坂上郎女は、家族や周囲の人々をおもんぱかる思いやり、そして自分の気持ちを素直で豊かに表現できる心の持ち主でした。時に喜びや悲しみ、時に親子・恋人・友への親密な感情を、飾り気のない温かい言葉で歌い上げ、人間味あふれる女性であったことがうかがえます。

また、歌に見られる「たおやかさ」や「気品」、率直で鋭い感性は現代にも強い共感を呼び起こしています。
一方で宮廷社会に生きる女性ならではの苦悩や葛藤も、静かに、時にはユーモアとともに歌い上げている点も彼女の大きな魅力です。

大伴坂上郎女 和歌

斯くしつつ遊び飲みこそ草木すら春は生ひつつ秋は散りゆく 『万葉集』
佐保川の小石踏み渡りぬばたまの黒馬の来る夜は年にもあらぬか
夏の野の繁みに咲ける姫百合のしらえぬ恋は苦しきものそ
故郷の飛鳥はあれどあをによし平城の明日香を見らくし好しも
真玉つくをちこち兼ねて言は言へど逢ひて後こそ悔いにはありと言へ

 

 

【参考文献】

  1. 『万葉集』
  2. 犬養孝『万葉集を読む』(角川文庫)
  3. 上野誠『万葉の歌人たち』(角川選書)

 

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