馬場あき子 – 伝統と革新を紡ぐ現代短歌の巨匠
馬場あき子(ばば あきこ、1928年1月28日~)は、昭和・平成・令和と三つの時代を駆け抜け、日本短歌界の頂点に立ち続ける歌人であり、評論家、能作家、教育者としても多彩な活動を展開してきた稀有な存在です。本名を岩田暁子といい、東京に生まれ育ちました。戦中・戦後の激動期を生き抜いた彼女の創作活動は、日本の現代短歌史と深く重なり合っています。
幼少期から文学的素養に恵まれた環境で育った馬場は、日本女子専門学校(現・昭和女子大学)国文科に進学。1947年、19歳の時に歌誌「まひる野」に入会し、窪田章一郎に師事して短歌の道を本格的に歩み始めました。窪田の指導のもと、伝統的な短歌の技法と精神を徹底的に学び、その確かな基礎を築き上げていきます。
同時期に馬場は、能楽喜多流宗家への入門を果たし、古典芸能の世界にも深く足を踏み入れました。この二つの芸術との出会いは、後の彼女の創作活動に決定的な影響を与えることになります。能の持つ厳格な様式美と象徴性、そして日本の伝統芸能に脈々と流れる美意識は、馬場の短歌世界を形成する重要な要素となりました。
1950年代から1960年代にかけて、馬場は着実に歌人としての実力を蓄え、次第に短歌界での存在感を高めていきます。1955年には第一歌集『わが愛』を上梓し、明確な女性の視点と繊細な感性を持った歌人として注目を集めました。この時期の歌には、戦後の混乱期を生きる若い女性の感性と、伝統的な和歌の技法が見事に融合されています。
1970年代に入ると、現代短歌界では前衛的な動きが隆盛を極めました。この時期、馬場は青年歌人会議や東京歌人集会での活動を通じて、現代短歌運動の中心的存在として精力的に活動します。彼女は伝統的な和歌の技法を踏まえながらも、現代的な感性と知性を融合させた新しい女性の歌の世界を開拓。その歌風は繊細かつ豊かな感受性に満ち、同時に知的な深みを湛えていました。
特筆すべきは、古典や能への深い理解を基盤としながら、斬新な連作スタイルや細やかな表現技法を確立したことです。馬場の短歌は、単なる抒情に留まらず、時に鋭い社会的視点を含み、また歴史や神話を題材にした雄大な連作として結実することもありました。『かげろふの日記抄』(1979年)や『源氏物語抄』(1982年)などの連作は、古典文学への深い造詣と現代的解釈が見事に調和した傑作として高く評価されています。
1980年代以降、馬場は現代短歌界の重鎮としての地位を確立します。1984年には自身の主宰する歌誌「かりん」を創刊し、後進の育成にも力を注ぎました。「かりん」は単なる歌誌にとどまらず、現代短歌の新たな方向性を示す重要な場となり、多くの優れた歌人を輩出してきました。
評論活動も精力的に行い、『和歌史展望』(1991年)や『もののあはれの文学』(1992年)などの著作を通じて、日本文学の本質に迫る鋭い考察を展開しました。また能楽研究者としての一面も持ち、『能・幽玄の相』(1973年)など、能楽の精神性と美学を深く掘り下げた評論も発表しています。能作家としても優れた才能を発揮し、『泣く女』『清姫』など、現代的感覚と伝統的様式が融合した新作能を創作しました。
長年にわたる文化・芸術への貢献が認められ、2008年には旭日中綬章を受章。さらに2011年には日本芸術院会員に選ばれるなど、その功績は広く認められています。朝日歌壇選者としても長く活躍し、その鋭い眼識と温かい指導は多くの歌人たちから敬愛されてきました。
2018年には90歳を迎えましたが、創作意欲は衰えることなく、新たな作品を生み出し続けています。70年以上にわたる創作活動は、1万首を超える歌の集積となって『馬場あき子全歌集』(角川書店)に結実しました。この全歌集は、一人の優れた歌人の軌跡であると同時に、現代日本の短歌史を映し出す貴重な文学遺産となっています。
馬場あき子の歌の世界は、伝統と革新、古典と現代の絶妙なバランスの上に成り立っています。古典文学や能楽から培われた深い教養と美意識を基盤としながら、現代社会を鋭く見つめる目と、女性としての繊細な感性が融合した独自の詩的世界は、他の追随を許さないものです。その表現は時に繊細で、時に力強く、常に知的な輝きを放っています。
「言の葉の森」を探求し続ける馬場あき子の姿勢は、現代の短歌界に大きな影響を与え続けています。伝統と革新、古典と現代、その狭間で独自の歌の世界を築き上げ、現代短歌の新境地を切り拓いてきた馬場あき子の存在は、日本の短歌史に消えることのない足跡を残しています。
現在も歌壇の第一線に立ち続ける馬場あき子の創作と活動は、日本の伝統文化の継承と発展という大きな課題に対する、一つの輝かしい回答であると言えるでしょう。その生涯をかけた文学への献身は、言葉の可能性を信じ、日本の詩歌の未来を切り拓こうとする者たちに、大きな勇気と希望を与え続けています。
馬場 あき子 著作(歌集)
1955年『早笛』
1959年『地下にともる灯』
1969年『無限花序』
1972年『飛花抄』
1977年『桜花伝承』
1980年『雪鬼華麗』
1985年『晩花』
1985年『葡萄唐草』
1987年『雪木』
1988年『月華の節』
1991年『南島』
1993年『阿古父』
1995年『暁すばる』
1996年『飛種』
1997年『青椿抄』
1999年『青い夜のことば』
2000年『飛天の道』
2001年『世紀』
2003年『九花』
2008年『太鼓の空間』
2011年『鶴かへらず』
2013年『あかゑあをゑ』
2015年『記憶の森の時間』
『渾沌の鬱』
『あさげゆふげ』
馬場 あき子 短歌
あの遠き低きあたりの尾根道に君が折りたるこの花すすき 『早笛』
今やわれ妻と言ふ名に落着くと青きタベのキャベッをほどく
今日何に思ひはせてか少年ら平和について語れと言ふも
黒松の曲りもみせぬ太き幹しめりをもちて 沼風に立つ
少年ら受験に痩する教場に水仙の花白く目にたつ
しんとして胸にふくれる泰山木の一輪白く匂ひしづまる
峠路のぬるでは深く紅ければ頬にやはらに夕陽はもゆる
春の水みなぎり落つる多摩川に鮒は春ごを生まむとするか
ひとり身をなげきつつ今も婚はむともせぬ淋しき女の君も一人か
清経の能はてし床ひっそりと腰かがまりて笛方はたつ 『地下にともる灯』
系列をはみ出してゆく語を愛し少年は忌むわれの文法
ひるがえるもの皆軽き初夏となり椎はゆるがぬ緑を抱く
草むらに毒だみは白き火をかかげ面箱に眠らざるわれと橋姫 『無限花序』
ゲルニカの牛昏き目をみひらけりデモ隊街にもつ勝利の錯誤
ここすぎてゆくべくもなき思いなど書きはててふいに青葉深けれ
水甕に命やしなう水は冷ゆひとりに堪えよわれのイザナミ
拠るべきは己れひとりか一の松すぎてたしかめいる決意あり
秋の夜の井戸に音あり深奥のはるけき銀河汲まれいるなり 『飛花抄』
雄ごころやわれに流れて虹たつをむかし群盗のほろびたる石
かがやきて散りたる<時>のかけらあり夏の渚は夕映えしまま
志くずれゆくごと見られつつひと庭しろき鷺草も散る
何もののひづめの音か夜のふけの眼裏までを来てはとどまる
母の齢はるかに越えて結う髪や流離に向かう朝のごときか
ひたおもて晒してあれば疾風して身を離れゆくくれないのかず
迷わねど思いにたがう日日なれば純白の帆のほしき午後なる
われのおにおとろえはててかなしけれおんなとなりていとをつむげり
青水沫五月は涼し女手に滅ぼししものいまだなかりし 『桜花伝承』
あざやかに朱の浮子ひとつ上りきてしずかにさかりなる夕日水
植えざれば耕さざれば生まざれば見つくすのみの命もつなり
大江山桔梗刈萱吾亦紅 君がわか死われを老いしむ
さくら花幾春かけて老いゆかん身に水流の音ひびくなり
夭死せし母のほほえみ空にみちわれに尾花の髪白みそむ
忘れ得ぬ心みたりし春のこと千の椿の葉の照りかえし
忘れねば空の夢ともいいおかん風のゆくえに萩は打ち伏す
われにいかなる齢か来つるゆくりなく雁の来る空ことし見にけり
夜半さめて見れば夜半さえしらじらと桜散りおりとどまらざらん 『雪鬼華麗』
抱えゆく農婦のダリヤ一、二本こぼれ岬に地蔵盆来る 『ふぶき浜』
捨て船と捨て船結ぶもがり縄この世ふぶけば荒寥の砂
迷いなき生などはなしわがまなこ衰うる日 の声凜とせよ
一削ぎに氷見がけづりし痩面の頬を実しと鳴けきりぎりす 『葡萄唐草』
まはされてみづからまはりゐる独楽の一心澄みて音を発せり
百合咲きて蛇いでゆけりゆつくりと苦しげに朝の道わたりゆく
わが思ふ紫式部蛍火の暗き心にもの書けといふ
わたり来てひと夜を啼きし青葉木菟二夜は遠く啼きて今日なし
手づかみて炭を切りたる深霜の遠昔にていまも梅咲く 『雪木』
頼朝を心に飼ひて頼朝とならざりし者に稲は熟れたり
月山は霧におぼれてゐたるのみみちのく声の男の背も見えぬ 『月華の節』
君が舞型かそけくわれに残りゐて君しのぶときかくて舞ふなり
さるすべり散りて小さき蝉の穴ほのかに翳り秋風となる
下野の芦野の柳若柳むかし知らねばさはやかに散る
はやく昔になれよと心かなしみし昔の香もて梔子は咲く
男の論かすか不可思議されどなほわがほほゑみもかすか不可思議 『南島』
精神といふいぶせきものを持てばなほ雨後の山河の澄むまでを見つ
虫といふあだ名の教師ありたるをわれ虫になり師走をこもる
琉球処分ここにして聞く沖縄にやまとを聞けば恥多きなり
黄金の落葉松はいと高らかに笑ひゐて蔵王の深き沈黙 『阿古父』
高千穂に来しはさびしさにあはむため朝日直刺す国に目覚めて
喉切れば正身あらはる父といふ明治の骨の怒りあらはる
白桃の二つほど水に沈みゐし銀河の夜の父母と子のわれ
風景はあはあはと眼にみちゐたり面影にみる死者阿古父尉
秋風は過去の索引そのなかに萩咲けば萩は思ひ出づらむ 『飛種』
大白百合カサブランカの水を吸ふ勢ひみえて母は死者たり
腹を据ゑるといふ男らの声は行きどこかつまらなく生きるに似たり
恐竜展出づる酷暑の夕ぐれを尾のなき二足歩行者あはれ 『青椿抄』
参照元一覧
- 馬場あき子『馬場あき子全歌集』角川書店
- 馬場あき子『和歌史展望』角川書店、1991年
- 馬場あき子『もののあはれの文学』筑摩書房、1992年
- 馬場あき子『能・幽玄の相』筑摩書房、1973年
- 日本芸術院公式サイト会員紹介ページ
- 朝日新聞歌壇記事アーカイブ
- 歌誌「かりん」公式資料
- 馬場あき子インタビュー「文藝」2018年春季号
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