杉浦翠子(すぎうらすいこ)
1885年~1960年 歌人。埼玉県生まれ。 本名翠。
1885年に岩崎紀一、サダの三女として生まれる。国語伝習所で学び、女子美術学校(現女子美術大学)を卒業。洋画家で日本のグラフィックデザインの礎を築いた杉浦非水と結婚。斎藤茂吉に師事するが「アララギ」の主流の島木赤彦一派から排斥され、後に自ら「アララギ」を退会。1933年に「短歌至上主義」を創刊。主知的短歌を唱えた。戦後は「短歌至上」と改め活動を復活。その歌風は引用歌のように主情的で破綻を恐れず、昂然たるところに特色がある。
杉浦翠子 短歌
子を産まねば許されざらむいのちとも思はねど我の生をうたがふ 『藤浪』
二人して今宵湯に入り児を産まぬ我が乳房かなしこの処女より小さく
しみじみと命思へばをみなごは愛しまれつつ死すべかりけり 『朝の呼吸』
大いなる声あげてみたく思ひたり陽を背に負うて暮れゆく浅間よ 『浅間の表情』
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