「万葉の風に生きた、秘められた才 ― 忌部首の生涯と人柄
日本古典文学の世界に息づく歌人たちの中で、知る人ぞ知る存在が「忌部首(いみべのおびと)」です。万葉集や歴史資料を元に、その経歴や生涯、残した歌、そして人柄の端々が伝わるエピソードを紹介しながら、現代にも深い感銘を与える忌部首の魅力に迫ります。本記事では、歌集の変遷や短歌の紹介、そして忌部首を彩る印象的な逸話をひも解きながら、幅広い視点でその人物像を浮き彫りにしてみたいと思います。
忌部首の経歴と生涯
忌部首(いみべのおびと)は、奈良時代から平安時代にかけて活躍した歌人の一人であり、その名は万葉集にも見られます。忌部氏は日本の古代豪族で、多くは神道にかかわる祭祀を担っていました。忌部首もその一族に連なり、芸術・学芸の分野にも通じていました。
生年や詳しい没年は定かではありませんが、7世紀末から8世紀頃、ちょうど万葉集の歌人たちが活躍していた時代に、忌部首は短歌を詠み、朝廷でその才能を認められていたとされます。当時の一族は地方豪族として地域社会に深く貢献する役割を担っており、忌部首もまた、村や神社の行事、宮中の宴席などで、しばしばその歌の才を発揮していました。
歴史的記録では、忌部首は清廉な性格で知られ、誠実に人々と向き合いつつも、時には鋭い観察眼や感受性あふれる表現で周囲を驚かせることがありました。合理的な思考と、素直な心根を併せ持ち、特に自然や人の暮らしの中にある「小さな美」を見抜いて和歌に詠み込む力に長けていたと言われています。
幼少期の逸話
幼少のころから家族や周囲に愛され、物静かながらも観察眼に優れた子どもだった忌部首。まだ文字も覚えぬ幼い時から、家のまわりの自然、草花や鳥のさえずりに感動し、母に感想を語ったと言われます。彼の最初の歌は、春の草花に寄せられたものと伝えられ、家族がこれを大切に書き留め、生涯の作品蒐集の核となったそうです。
青年期の活躍
成長とともに一族の後継者として、また、文化人としての学びにも力を入れました。都で催された和歌の会に若くして招かれ、詠んだ歌の端正さ、美しさが評判を呼びました。師と仰いだのは、当時名高い歌人たちであり、彼らから「自然観察の大切さ」や「心の表現」を学びました。こうした環境が、忌部首の歌人としての基礎を作り、その後の作品にも大きな影響を与えることになります。
万葉集・その他の歌集収録について(歌集年代順紹介)
忌部首の和歌が最初に世に広まったのは、奈良時代中期「万葉集」収録によるものです。
ついで、『続万葉集』とも呼ばれる後の歌集にもその作が見られ、同時代の歌人たちからも注目されました。
また、忌部氏一族が家々に伝えたとされる「忌部家歌集」にも一部の和歌が納められています。
- 【奈良時代中期】『万葉集』収録
- 【奈良時代後期】『忌部家歌集』(伝承歌集)
- 【平安時代初期】『続万葉集』(仮称、記録上は断片のみ伝わる)
忌部首の人柄を示す逸話
都の友人でもあった有力貴族の息子が病で倒れたとき、忌部首は身分を超えて見舞い、枕元で励ましの歌を詠んだと伝えられます。
その和歌は絶望に沈んでいた友人の心を慰め、家族にも深い感銘を与えました。忌部首が愛された理由は、こうした人間味あふれる行動と、決して偉ぶらず、誰に対しても誠意をもって接したところにありました。
また、晩年には自らの作品を後進の若い歌人たちに惜しみなく伝授し、彼の門下から数多くの優れた歌人が輩出しました。伝統と革新のバランスを意識し、古き良き技術を伝えつつも新たな表現にも挑む姿勢は、現代の私たちにも学ぶところが多いです。
枳の棘原刈り除け倉立てむ屎遠くまれ櫛造る刀自 『万葉集』
参考文献
・『萬葉集』(岩波文庫)
・『万葉集全歌講義』(中西進)
・『古代日本の歌人たち』(山本登朗)
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