【佐々木 信綱】『29選』 知っておきたい古典~現代短歌!

ヌマタクチナシ 八重咲き

ヌマタクチナシ 八重咲き

佐々木 信綱(ささき のぶつな)

1872年(明治5年6月3日)~1963年(昭和38年12月2日) 三重県鈴鹿市生まれ。歌人。歌学者。国文学者。鈴屋派の歌人。

足代弘訓に師事した歌人・歌学者であった父弘綱の英才教育を受け、10歳で上京。12歳で東大古典科入学、16歳で卒業。十代から二十代にかけて、 父の遺業であった『日本歌学全書』正続全24巻を編纂。

1898(明3)年、歌誌 「心の花」を創刊。結社「竹柏会」を主宰。木下利玄、川田順、前川佐美雄、九条武子、柳原白蓮、相馬御風など多くの歌人を育成。旧派 と新派、明星系と根岸系、歌壇と学界の橋渡しを担い、正岡子規、与謝野鉄幹らと和歌革新を推進。

生涯、短歌の流布を使命と し、個性を尊重して「心の花」内外に多く の弟子を育てた。

歌集『鶯』『椎の木』『瀬の音』『思草』『新月』『常盤木』『山と水と』ほか。

研究・編著は 『校本万葉集』など膨大な数になる。

 

佐々木信綱 短歌

幼きは幼きどちのものがたり葡萄のかげに月かたぶきぬ『思草』

白帆きえ船唄きえておぼろ夜の月にたゞよふ千島百島

新嫁のつゝましげなる田植歌たのもすゞしき朝風ぞふく

ぬば玉の夜半のさ霧にまぎれ入りてさながら消えむ此身ともがな

願はくはわれ春風に身をなして憂ある人の門をとはゞや

俯して見る大やしま国あまりにも小さくもあるか大やしま国

真心の民住める国一すぢの君います国桜にほふ国

破れたるからかささして子等ぞゆく古き駅の雨のゆふぐれ

荒小田あらをだをかへす若人力わかうどちからあるつよきかひなに春の日の照る 『新月』

何するも物うし此の頃何するも芝居をするがごとく思はれ

 

野のすゑ移住民いじうみんなど行く如きくちなし色の寒き冬の日

ゆく秋の大和の国の薬師寺のたふうへなる一ひらの雲

よき事にをはりのありといふやうにたいさんぼくの花がくづるる

我がせいはあまりにさびし秋風に九十九里くじくふりの浜ふみゆく如し

敷島の名まとの国をつくり成す一人とわれを愛惜おしまざらめや 『常盤木』

人の世はめでたし朝の日をうけてすきとほる葉の青きかがやき

夢にあらず此のいたましさはまさに吾が前にある現ならずや 『豊旗雲』

真白帆によき風みてて月の夜を夜すがら越ゆる洞庭の湖 『遊清吟藻』

二本ふたもとの柿の木の間の夕空の浅黄に暮れて水星は見ゆ  『椎の木』

少女なれば諸頬もろほにつけしべにのいろも額の櫛も可愛かなしき埴輪 『瀬の音』

 

やまぶきの花にふる雨細くして此の朝窓にこころあかるし

あまりにも白き月なりさきの世の誰が魂の遊ぶ月夜ぞ 『山と水と』

西山の老学生が友とし見る向つ和田山のあしたあしたの色

夜に入れば秋らしきひえ校正のインク薄きにわが目しぶるも

わが心くもらひくらし海は山はきのふのままの海山なるを

元寇の後六百六十年大いなる国難来たる国難は来たる  『佐佐木信綱歌集』

夕庭は一樹ひときの梅のしづかなる光のもとにわが一人ある

花さきみのらむ知らずいつくしみ猶もちいつく夢の木実を (歌集未収録)

垣ごしに見る梔子花いろあせたり昨日の子犬今日も寄りくる

コメント