木下利玄(きのしたりげん)
1886~1925年 岡山県出身。 歌人。
白樺派の歌人。 足守藩主木下利恭の弟利永の二男で、伯父の没後、5歳で養嗣子となり子爵・木下家13代当主となる。木下宗家を継いだ。
江戸期の歌人、木下長嘯子の子孫でもある。同年、上京し、旧家老より当主教育を受けいる。学習院を経て東大に学ぶ。一三歳で佐木信綱に入門、「心の花」同人となり川田順、新井光とともに若手として頭角をあらわす。のち「白樺」創刊に参加。また晩年「日光」創刊に参加。 39歳没。
いもうとの小さき歩みいそがせて千代紙かひに行く月夜かな 『銀』
夕方に子供の遊ぶころとなり街にも下る蒼きうす靄
朝の冷え未だも退かず裾さむし花屋の土間を占むる菊の香 『紅玉』
街をゆき子供の傍を通るとき蜜柑の香せり冬がまた来る
峰の松真昼の空にくひ入れるくろき蒼さのもつぱらなれや
牡丹花は咲き定まりて静かなり花の占めたる位置のたしかさ 『一路』
手を洗ふ水つめたきに今朝の秋や身を省みて虔しくあり 『みかんの木』
町を近みくたびれ歩むみちばたにさいなみ捨てある曼珠沙華の花
みかん ろいち 他画像
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