上田三四二(うえだみよじ)
1923~1989年 兵庫県出身
昭和期の歌人、小説家、文芸評論家、医学博士。
京都大学医学部を卒業し医師となる。内科医として病院に勤務のかたわら作品を発表。 43歳で癌を患う。仕事と長い闘病生活のなかで命をみつめ、作品を生み、深い洞察力にもとづく批評をおこなった。
上田三四二(うえだみよじ) 短歌
実験室にわが居る隅はいつもいつも壁のなかゆく水の音する 『黙契』
感情のなかゆくごとき危ふさの春泥ふかきところを歩む 『雉』
覚めぎはの茫漠とせる意識にて呼ぶ妻のこゑの照る日曇る日
山坊をつつみて夜の雨きこゆにはかに秋はふかまりぬべし
しみじみと落葉かきをりおのづから年明けぬれば去年の落葉ぞ
中絶せし実験をまたはじむべし酸匂ふ階をのぼりゆきつつ
沈黙の草生のうへにふりそそぐ言葉あたたかしをみなの言葉
なほながき半生を空想することあれど愛恋のことはすでにそこになし
アカシヤの大木のこずゑはなみちてひと木みなしろし風に揺れつつ 『湧井』
ちる花はかずかぎりなしことごとく光をひきて谷にゆくかも
薄明のしだいにふかき闇のうちに連翹の黄ぞ溺れてゆきぬ
白木蓮の花の枝しまき百穂のかがやきは空に夢をぞかかぐ
海のはたて空のきはみに隙ありて日は半円にそこに挿されつ 『遊行』
おとろへてゆく眼には乳暈のなかの乳嘴のうすくれなるゐよ
疾風を押しくるあゆみスカートを濡れたる布のごとくにまとふ
乳房はふたつ尖りてたらちねの性のつね哺まれんことをうながす
やはらかき軀幹をせむるいくすぢの紐ありてこの晴着のをとめ
庭隈にとぼしき芝を育てをり秋すぎてわが去りゆくものを
年表は簡潔ゆゑにこころふるふたとへば一八五七年「悪の華」
ひそかなる夜の厨に明日のため蜆らひらくうすももの肉
眼冴ゆる夜半におもへばいにしへは合戦をまへにいかに眠りし
明滅のともしび赤き機がゆきぬ細りゆく息をわが目守るとき
夜の窓にありありとわが映りゐてわれの孤りのこころも映る
湧く霧は木のかをりして月の夜の製材所の道がわが通りをり
武蔵野の冬の林のあかるさよ落葉ふむおとはいのち生くる音
ねこじやらしなど野の草は穂をたれてあらんあかるき秋津辺の道
もろともに継ぎえしいのちにひどしの鶏はわが掌より朝の餌をうく
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