【曼珠沙華(彼岸花)の短歌】『7選』知っておきたい古典~現代短歌!

曼珠沙華、彼岸花

曼珠沙華(彼岸花)

曼珠沙華(彼岸花)

曼珠沙華(まんじゅしゃげ)、または彼岸花(ひがんばな)は、主に秋に花を咲かせる球根植物で、日本では古くから「死者の花」や「仏花」として知られています。曼珠沙華の名前は、仏教の経典「法華経」から由来し、「天上に咲く花」という意味があります。一方、「彼岸花」という名は、秋の彼岸の頃に開花することから名付けられました。曼珠沙華は、リコリス属に属するヒガンバナ(Lycoris radiata)のことを指し、中国が原産地とされていますが、古くから日本や韓国にも伝わり、栽培されています。

歴史的背景

彼岸花が日本に渡来したのは、奈良時代(710-794年)頃と言われています。当時は中国からの文化や技術が流入し、多くの植物ももたらされました。彼岸花もその一つであり、稲作とともに日本に伝わった可能性が高いと考えられています。田んぼの畦や墓地周辺でよく見られる理由は、彼岸花が毒性を持つことにあります。彼岸花の球根にはアルカロイドという有毒成分が含まれており、これが動物や害虫から田畑を守るために植えられたとされています。特に、野生動物が稲を荒らすのを防ぐために畦道に植えられることが多く、そうした文化が広まったと考えられます。

仏教との関連

彼岸花の仏教的な象徴性は、日本文化の中でも強調されてきました。「彼岸」とは仏教用語で、生死の苦しみから解脱した境地を指します。彼岸の期間は春と秋にあり、その期間に彼岸花が咲くことから、死者の魂が迷わず成仏する道しるべとされてきました。特に、墓地や寺院周辺で彼岸花が多く見られるのは、死者の供養や追悼の象徴として植えられてきたためです。

日本の文学・伝承における彼岸花

日本の古典文学や詩歌にも、彼岸花は多く登場します。平安時代の和歌や俳句には、彼岸花を題材にしたものが数多くあります。彼岸花の鮮やかな赤色が血や死を連想させることから、不吉な象徴として描かれることも多く、恋愛の別れや悲しみを表現する詩に用いられることがありました。例えば、「源氏物語」や「枕草子」などにも彼岸花が登場し、その妖艶さと儚さが物語の情景を引き立てています。

また、彼岸花には多くの地方伝承や民話もあります。例えば、彼岸花を摘むと不幸が訪れる、家に持ち帰ると火事になるといった言い伝えが全国各地に残っています。これは、彼岸花の毒性に対する畏怖の念や、死者との強い結びつきが背景にあると考えられます。短歌作品においても、しばしば異世界の象徴と表現されます。

曼珠沙華(彼岸花)短歌

いたみもて世界の外に佇つわれと紅き逆睫毛の曼珠沙華 塚本邦雄

曼珠沙華叫びつつ咲く夕焼けの中に駆け入るひづめ持つわれは 小守有里

曼珠沙華そよげる央に喫泉を吸ひたるのちの唇濡れてあり 小島ゆかり

人の祈りのかく咲きにけむみ墓近き白彼岸花ふれがたく過ぐ 小野興二郎

夏ゆけばいつさい棄てよ忘れよといきなり花になる曼珠沙華 今野寿美

秋ここに塩山ありて死人花あかしくらしとさだめがたしも 小中英之

曼珠沙華むらがり咲けどかくり世にゆきてかへりこぬ父よ母よ 杜沢光一郎

彼岸花 白

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