古典~現代短歌

【安永 蕗子】『23選』 知っておきたい古典~現代短歌!

1920年~2012年 熊本県生まれ。歌人。書家。号は春炎。1938年(昭13)県立第一高等女学校卒業。 1940年(昭15)熊本師範学校(現熊本大学)卒業。 1954年(昭29)父、安永信一郎の歌誌「椎の木」に加わる。1962年、第一歌集『魚愁』は、戦後社会を背景に闘病の体験を持ちながら、自身の生を切り拓いてゆく、繊細にして女性の意識の確かさを基底とする。
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【安田 章生】『3選』 知っておきたい古典~現代短歌!

1917年~1979年 兵庫県生まれ。歌人。国文学者。文学博士。 安田青風の長男。東京帝国大学国語国文学科卒。1946年(昭4)、父の安田青風とともに歌誌 「白珠」を創刊。第二芸術論が叫ばれた戦後歌壇の中で、中世歌人の研究を通して日本詩歌の正統を探った。国文学者としても藤原定家、西行研究の大家であった。西行や心敬の作品世界から刺激を受け、「知的抒情」という作歌理念を提唱した。
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【矢代 東村】『2選』 知っておきたい古典~現代短歌!

1889年~1952年 千葉県に生まれ。歌人。青山師範学校卒業後、小学校教員をしながら日本大学専門部法科にまなび卒業、弁護士となる。前田夕暮の「白日社」に入り『生活と芸術』などに短歌を発表。1912年 (大初)「詩歌」に参加。1915年(大4)年頃より口語短歌を作りはじめ、平明素朴な中に新鮮なリズムをもった生活派の歌人として活躍。口語のリズムを表現するために多行書きの表記を導入。プロレ タリア短歌の運動に参加し、1942年(昭7)には「短歌評論事件」によって検挙・ 拘束される。
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【森岡 貞香】『25選』 知っておきたい古典~現代短歌!

1916年~2009年 島根県松江市生まれ。昭和~平成時代の歌人。1946年 (昭3)前年に復員した夫の急死。幼い息子を抱えての生活苦、自らの病という境遇に生死の感覚と心理を独自な言語空間で突きつめた作品を発表していく。
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【森 鴎外】『16選』 知っておきたい古典~現代短歌!

1862年~1922年 島根県出身。小説家。本名は林太郎。父は、津和野藩4万3千石の亀井家の典医。10歳で上京。 現在の東京大学医学部を卒業後は陸軍軍医となる。1884(明7)年~1888年までをドイツ留学。後に軍医総監、医務局長となる。夏目漱石と並ぶ明治の二大文豪として、文業はあらゆる分野にわたり、業績の大きさは「テェベス百門の大都」に例えられている。
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【村木 道彦】『20選』 知っておきたい古典~現代短歌!

1942年 東京生まれ。 歌人。1965年に、『ジュルナール律』掲載の「緋の椅子」連作10首で、中井英夫、塚本邦雄らの激賞を受け、歌壇にデビュー。仮名文字の多用、鋭くも優しい独特な感性、政治的な時代にノンポリティカルでありつづけた。佐佐木幸綱より少し遅れて登場した世代を代表する一人。1974年、歌集『天唇』を刊行。その後、長い作歌中断する。
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【村上 一郎】『2選』 知っておきたい古典~現代短歌!

1920年~1975年 東京生まれ。 思想家、文芸評論家、歌人、小説家。栃木県宇都宮市で育ち旧制宇都宮中学校(現栃木県立宇都宮高等学校)を経て、東京商科大学(現・一橋大学)予科に進学。短詩型文学に造詣が深く、現代短歌について積極的な提言をした。「無名」を創刊。晩年に思想の根源において共鳴し合った三島由紀夫の追悼歌を含む歌集『撃攘げきじょう』がある。
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【武川 忠一】『9選』 知っておきたい古典~現代短歌!

1919年~2012年 長野県出身。 歌人。1940年(昭和15年)、早稲田大学専門部に入学。1943年、早稲田大学文学部国文科に編入学。窪田空穂・窪田章一 郎に師事。「まひる野」を経て「音」を創刊。近・現代短歌の研究・評論も多数ある。第一歌集『氷湖』で自己の原点とも言う べき作品世界を築いた。
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【正岡 子規】『35選』 知っておきたい古典~現代短歌!

1867年~1902年 愛媛県松山生まれ。歌人、俳人。国語学研究家。本名、常規つねのり。祖父大原観山おおはらかんざんに漢学を学び松山中学に進む。1884年、大学予備門入学。このとき詩歌や俳句を始める。1888年、第一高等学校本科に入学。夏日漱石と出会ったのもこの時期。1890年、東大国文科に入学。翌年「俳句分類」 に着手、俳句の研究を進める。
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【宮沢 賢治】『16選』 知っておきたい古典~現代短歌!

1896年~1933年 岩手県生まれ。 童話作家。 詩人。宮沢賢治の短歌創作は、1909(明2)年、中学入学の頃から始まった。石川啄木や北原白秋の影響を受けている。1912(明4)年の中学時代から1918(大7)年、盛岡高等農林学校卒業頃までは短歌の創作を主としていた。現在見られる賢治の短歌は、「歌稿 A」「歌稿B」と仮称される手書きの未発表原稿によるものが大部分である。