硫黄島帰島問題を徹底解説:元島民の願いと戦後史

帰島

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忘れられた南海の島―いまも続く「帰島」の願い

「硫黄島」と聞いて何を思い浮かべますか?多くの人は太平洋戦争の激戦地、あるいは「硫黄島からの手紙」など映画や小説の舞台を思い出すかもしれません。しかし、今なお硫黄島は日本社会のある深刻な問題を抱えています。それが「帰島問題」。戦後80年近くの時を経ても、なお元島民が故郷に帰ることができないという現実です。

東京都心から約1250km離れた小笠原諸島の一角にある硫黄島は、かつて農業や酪農が盛んで、時には1,000人を超える人々の暮らしがあった島です。魚や野菜が豊富に採れ、珍しい外国車まで走る活気あふれる島でした。しかし太平洋戦争末期、日米両軍の激戦の舞台となり、多くの命が失われました。戦局の悪化により1944年7月、島民のほとんどは本土に強制疎開。終戦後も島に戻ることは許されず、そのまま生活基盤を失った元島民は、日本各地に分散し地道な再出発を強いられることになったのです。

1968年、日本への返還で小笠原・父島や母島には帰還が認められたものの、硫黄島だけは今も自衛隊基地となり、帰還は認められていません。土地の権利は元島民や子孫が保持するものの、自由な入島や居住は大きく制限されています。

硫黄島とは

硫黄島は東京都小笠原村に属し、本州から南へ約1,250キロ、面積は約23平方キロの孤島です。火山活動が活発な島で噴煙が絶えず、独自の生態系や歴史を育んできました。江戸末期から開拓が始まり、明治以降は農業や酪農、漁業などを中心に独自の島文化が花開きました。最盛期には1,000人超の島民が生活し、他の離島に比べても裕福な部類だったと伝えられています。

戦中・戦後の大きな転換点

1944年、太平洋戦争の戦局が深刻化する中、日本軍は硫黄島を太平洋防衛の要と位置付けました。同年7月、国は島民に対し本土への強制疎開を命じ、島民のほとんどが“同意なく”ふるさとを離れることになります。その後、1945年2月19日、米軍が上陸。日本側は守備隊2万人以上が壮絶な戦いの末、ほぼ全滅。米軍も約7千人の犠牲を出す未曾有の激戦となりました。疎開した島民は終戦後も帰島を許されず、米軍管理下、次いで日本に返還(1968年)された後も、父島・母島への帰還は認められたものの、硫黄島は自衛隊基地の島として立入や居住が強く制限されてきました。

帰島を阻むもの

元島民やその子孫には今も土地の権利があるものの、政府や防衛省は「火山活動」「産業基盤の脆弱さ」「安全確保」などを理由に帰島を認めていません。一方で、防衛上の要所であることから、1969年以降、島の多くは自衛隊が管理し基地化されているのが現状です。また、島民自らの墓参や慰霊も文章や申請を伴う厳しい管理下で一部しか許可されず、自由な出入りは困難です。こうして80年経った今も、「故郷に戻りたい」「先祖の墓を拝みたい」という家族の当然の願いが、日本社会から見過ごされてきたのです。

個人的な感想

「硫黄島帰島問題」を目にし、その厳しい現実を知りました。知らないうちに誰かが失ったもの、苦しみ続けてきた人たちがいることに気づかされます。日本国憲法22条には「移住の自由」が定められていますが、元島民たちはこの権利すら十分に保障されていないと感じています。時間が過ぎても解決されない課題、元島民の「帰りたい」という願い。島民が自らの意思で帰島できる日がくる日も見えないようです。

現状の問題点や課題

現在、硫黄島帰島問題が解決されていない主な要因は、次の4つです。

【1】安全・自然環境の問題
火山島であり地熱活動が活発。噴気や土壌ガス、地震リスクなどがあるため“住民定住には危険が伴う”という行政の公式見解が長年の障壁となっています([NHK: https://www3.nhk.or.jp/news/special/senseki/article_169.html ]による)。

【2】産業・インフラ基盤の問題
戦前は農業・畜産・漁業が盛んでしたが、戦後はインフラ未整備。港湾・水道・電力・通信等の基幹施設が失われたまま。自衛隊や工事関係者のための仮設施設や一部商業施設はあるものの、「一般島民が生活再建できるレベルの基盤」は復旧されていません。

【3】法的・行政上の壁
復帰後も土地所有権は島民に残っていますが、国や防衛省と賃貸契約となり自由な利用ができません。公式には「帰島は禁じられていない」が、現実には安全管理や施設不在等の理由で申請が容易に受認されないのが現状です。
加えて自衛隊基地化による“治安上の特殊性”も大きな課題。国の“お願い”による事実上の帰島制限は、法的グレーゾーンとなっています。

【4】歴史認識・社会的無理解
今でも多くの日本人は硫黄島元島民の存在、帰島問題そのものを知りません。戦後最大級の人権・財産問題であるにもかかわらず、十分な社会的議論やメディア露出がないことも、長期未解決の一因と考えられています。

解決策・改善案などとして

【1】安全インフラ整備
国または東京都が責任を持ち、現代技術で地熱や地震リスク回避策・モニタリング体制を整備。住民希望者の一部定住から段階的に支援し、居住可能区域だけを限定してのテスト居住も選択肢です。

【2】行政上の透明性・法の明確化
「事実上の制限」を改め、帰島条件や入島手続きの明文化、開示を進める。不明瞭な“お願いベース”を解消し、きちんとした法体系・運用で処遇を安定させる必要があります。

【3】産業再興と共同体作り
特区認定や補助金交付を活用して、農業・漁業などの一次産業復活を支援。観光や歴史遺産ツーリズムも、元島民や子孫の雇用創出として検討できます。

【4】歴史啓発・社会的関心の向上
教科書やNHK特集、映画などで硫黄島帰島問題が正しく紹介される機会を増やす。世代を超えた理解と共感が、問題解決へのエネルギーとなります。

【5】被害補償と心のケア
強制疎開や財産権喪失に対して、国による補償・慰謝料制度も議論すべきです。長期間の未解決による精神的負担へのケアにも、きめ細かい対応が求められます。

展望・予測・社会への影響

今後は人口減少社会で、地方自治と国の関係、土地・財産権確保の議論がより重要に。元島民の帰島事例は「戦後補償」「移動の自由」「地域活性化」の観点でも日本社会に大きな影響を及ぼす可能性も。

まとめ

硫黄島帰島問題は、戦争の傷跡、国家責任、そして個人の自由と人権の根源に関わる重大な課題です。戦後80年が経ち、多くの元島民や子孫が高齢化する中、「帰りたい」と純粋に願う家族の想いを、今の日本社会はどう受け止めるべきでしょうか。

「移住の自由」が憲法で保障されていても、現実には様々な“見えない壁”があります。私たちができるのは、歴史を正しく学び、声なき声に耳を傾け、より良い未来をつくるための行動をひとつひとつ積み重ねていくしかないのでしょうか。

 

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