日本の伝統文化を代表する『百人一首』。その中には、日本人の心に今も息づく歌が多く選ばれています。中でも、雄大な自然を詠み上げた山部赤人の「田子の浦にうち出でて見れば白妙の/富士の高嶺に雪は降りつつ」は、古来より多くの人に愛されてきた一首です。この歌は、「百人一首」に収められたものの中でも、特に自然への感動や、日本の象徴ともいえる富士山の美しさを伝える歌として有名です。本記事では、この歌が持つ本当の意味や言葉の背景、作者の生涯、そしてその歌集や歌が詠まれた背景にまで迫り、分かりやすく徹底解説していきます。
山部赤人(やまべのあかひと)
田子の浦にうち出でて見れば白妙の
富士の高嶺に雪は降りつつ (新古今集 巻六「冬」)
【現代語訳】
田子の浦の海岸へと歩み出て、はるか遠くを眺めてみると、まるで真っ白な布をまとったように、富士山の高い峰に雪がしんしんと降り続いているなあ
【語句の意味】
- 田子の浦:現在の静岡県富士市付近の海岸地帯。古来、富士山の絶景地としても知られる場所。
- うち出でて:「うち」は強調を表す接頭語。「出でて」は進み出る、外に出る意。「ずっと歩み出て」というニュアンス。
- 白妙の:「まっ白な」「純白」を意味。和歌の世界では「富士」や「雪」にかかる枕詞ともされます。
- 高嶺(たかね):高い峰。もちろん富士山の山頂部を指します。
- 降りつつ:雪が降り続く様子。「つつ」は反復や継続の意味を表す接続助詞。
【歌集】「新古今和歌集」と「万葉集」について
この歌は『新古今和歌集』(しんこきんわかしゅう)に収録されていますが、もともとは『万葉集』(まんようしゅう)に長歌および反歌として掲載された古い歌です。
『万葉集』は、奈良時代に編纂された現存最古の和歌集で、時代を生き抜いたさまざまな階層の人々の声が集められています。全20巻、約4500首からなり、当時の宮廷歌人や庶民、地方の役人まで幅広い層の歌が並ぶのが特徴です。歌の内容も自然賛美、恋愛、人生、旅、時事など多岐にわたり、「人麻呂」「額田王」「大伴家持」などの名歌人の作品が数多く収められています。
『新古今和歌集』は、鎌倉時代前期(1205年ごろ)に編纂された勅撰和歌集で、平安期から鎌倉へと移りゆく時代の感性が強く現れています。藤原定家らが中心となって編纂し、幽玄・余情という独特の美意識が投影された名歌が多く収録されています。伝統を踏まえつつも新しい美を求めたこの歌集は、技巧的な歌い方や繊細な表現が多用され、とても芸術性の高い内容になっています。
この「田子の浦にうち出でて見れば白妙の~」の歌も、もともとは「万葉集」所収の長歌の一節であり、「不尽の山を望む」とある長歌の反歌(付随する短歌)として登場します。
その後、時代を経て『新古今和歌集』にも再録される際、「降りける(降りてしまった)」という結句(末尾)が「降りつつ(降り続ける)」に改められ、現代の「百人一首」にはこの形が採用されました。
このように、一つの歌が時を超えて何度も読み継がれ、編集のなかで表現や解釈が移り変わっていく様は、日本の和歌文化の奥深さを感じさせます。「万葉集」版には、より実感のこもった「今そこに雪が積もった」とする実景詠の趣があり、「新古今集」版は「絶え間なく降り続ける」という、現実にはなかなか見られない幻想的な美しさが備わると評されます。それぞれの時代が好む美意識の違いが、歌の細部に現れているのも読みどころです。
【歌の鑑賞】
山部赤人のこの歌は、古代日本人が自然と向き合い、その偉大さや美しさに感じ入る素直な心情を鮮やかに表現しています。田子の浦の広がる海と、その向こうに気高くそびえる富士の高嶺。しかもその山頂が、雪で真っ白に覆われ、さらに雪がしきりに舞い続けている――。この視覚的なインパクトと、心に迫る感動は、今も昔も変わることがありません。
この歌は、作者が旅の途上でふと立ち止まり、田子の浦から富士山を仰いだ瞬間の鮮烈な風景体験が、そのまま歌になっている点が特徴です。旅の疲れを忘れるほど圧倒的な景色に出会い、「うち出でて見れば(外に出て、見ると)」と、感情の高まりをストレートに表現しています。
また、「白妙の富士」「雪は降りつつ」といった語句には、ただ純白の美しさを讃えるだけでなく、はかなさや潔さ、日本的な美の奥深さも感じられます。結句の「降りつつ(降り続けている)」は幻想的な響きがあり、万葉集版の「降りける(降り積もった)」よりも未来へと想像を広げやすく、鑑賞者の心に余韻を残します。
新古今集の選者たちは、この「つつ」の余情こそが歌の魅力であると捉えています。現実に目前にある風景でなく、頭の中に描かれる“永遠に降りしきる雪”の富士山。その空想が、当時の人々の感性に強く訴えたのでしょう。
こうした「自然と人の心」の一体感は、山部赤人の歌の真骨頂です。さながら絵巻物の一場面のごとく、読む者を遠い田子の浦にいざない、荘厳な富士山の雪景色へと連れて行ってくれます。
また、日常の中でふと足を止め、大いなる自然を心で味わう…。この歌を読むことで、何気ない景色が特別なものに感じられる、そんな発見があるはずです。
【作者】山部赤人について
山部赤人(やまべのあかひと)は、奈良時代に活躍した宮廷歌人です。正確な生年および没年は不明ですが、八世紀前半ごろに聖武天皇(在位724 – 749)の行幸(天皇の地方巡幸)に随行し、吉野・難波・紀伊といった各地で、多くの歌を詠んだ記録が残っています。
その歌には高貴な品や格式だけでなく、どこか素朴な人柄や誠実さ、自然への愛惜が感じられます。
赤人は、同じく「歌聖」と称された柿本人麻呂と並び評され、『万葉集』の代表的な人物として知られています。彼は天皇の傍で歌を詠むだけでなく、一般庶民や土地の人々の生活や自然環境へも思いを寄せ、その感動を自らの表現で現しました。そのスタイルは華美な装飾を避け、素直で清澄な響きをもつ「赤人調」とでも呼ぶべき詠風として後世に尊ばれました。
『古今和歌集』の「仮名序」では、人麻呂と並べて『歌聖』と称賛され、技量だけでなく、その心根の誠実さや、清澄な美意識が高く評価されています。三十六歌仙にも数えられており、いにしえびとの憧憬と尊敬を一身に集めました。
また、赤人には宮廷歌人でありながら、一人の旅人として日本各地を巡るという、しなやかな行動派の印象もあります。行く先々の自然や土地の人々の様子を見つめ、それらへの素直な感動を和歌として表現する――。現代から見ると、その詠歌姿勢は「旅の詩人」「自然の賛美者」といった言葉がぴったりくる存在です。
そんな赤人が生涯にわたって歌い続けた、自然と人との心の交歓。それは当時の歌人たちはもちろん、現代を生きる私たちにも響く普遍的なテーマではないでしょうか。
【参考文献】
・佐佐木信綱監修『新編百人一首』(角川学芸出版)
・阿部秋生編『新日本古典文学大系 万葉集』(岩波書店)
・小西甚一『日本の詩歌』(講談社学術文庫)
・小学館『日本古典文学全集・新古今和歌集』
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