前川 佐美雄 (まえかわ さみお)
1903年~1990年 歌人。奈良県南葛城郡忍海村生まれ。
1921年、下淵農林学校卒業。少年時代から絵画と短歌に親しんでいた佐美雄は、竹柏会「心の花」入会。佐佐木信綱に師事する。故郷大和の風土と文化を深く愛しながら、昭和初期の先端的なモダニズムを積極的に短歌に導入した。1934年『日本歌人』を創刊、主宰。
前川 佐美雄 歌集
1930年 第1歌集「植物祭」 靖文社
1940年 第2歌集「大和」 甲鳥書林
1941年 第3歌集「白鳳」 ぐろりあ・そさえて
1942年 第4歌集「天平雲」 天理時報社
1943年 第5歌集「春の日」 臼井書房
1943年 第6歌集「頌歌 日本し美し」 青木書店
1945年 第7歌集「金剛」 人文書院
1946年 第8歌集「紅梅」 臼井書房
1947年 第9歌集「寒夢抄」 京都印書館
1947年 第10歌集「積日」 青磁社
1950年 第11歌集「鳥取抄」
1964年 第12歌集「捜神」 昭森社、短歌新聞社文庫(1992)
1971年 第13歌集「白木黒木」 角川書店
1992年 第14歌集「松杉」 短歌新聞社
前川 佐美雄 短歌
いますぐに君はこの街に放火せよその焰の何んとうつくしからむ 『植物祭』
今の世にチャップリンといふ男ゐてわれをこよなく喜ばすなり
映画はねて突き出された街のあかるさにひたと身にくる羞明はある
廻転ドアの向ふがはにゐるをとめごの夢は美くしく黄にかはるなり
山上の沼にめくらの魚らゐて夜夜みづにうつる星を恋ひにき
棕梠のかげで少女が蝶蝶をつまむからわれの頭が何んてのぼせる
新聞の切り抜きを今日もしまひゐていきどほろしき世を思ひたり
戦争の真似をしてゐるきのどくな兵隊のむれを草から見てゐる
ぞろぞろと鳥けだものをひきつれて秋晴の街にあそび行きたし
掌をじつと見てゐるしたしさよ孤独のなみだつひにあふるる
遠い空が何んといふ白い午後なればヒヤシンスの鉢を窓に持ち出す
床の間に祭られてあるわが首をうつつならねば泣いて見てゐし
なにゆゑに室は四角でならぬかときちがひのやうに室を見まはす
何んとこのふるい都にかへりきてながい歴史をのろふ日もあり
庭すみにひと株の羊歯が芽を吹きをり油ぎりたるその芽を愛す
春の夜のしづかに更けてわれのゆく道濡れてあれば虔みぞみぞする
ひじやうなる白痴の僕は自転車屋にかうもり傘を修繕にやる
丸き家三角の家などの入りまじるむちやくちやの世が今に来るべし
耳たぶがけもののやうに思へきてどうしやうもない悲しさにゐる
もはや夜もいたくふけたる公園に廻遊木馬をさがして行けり
夜なかごろ街頭のポストに立ち寄って世間の秘密にひよつとおびえる
六月のある日のあさの嵐なりレモンをしぼれば露あをく垂る
あかあかと硝子戸照らす夕べなり鋭きものはいのちあぶなし 『大和』
おぼろめく春の夜中を泡立ちて生れくるもの数かぎりなし
神神のこゑもこそせね昼顔の花あかくしぼみ渇きゆく野に
くたばりて帰る日もあらむふるさとの青き往来のとはに静けき
さみだれの夜におもへば内ふかく蔵へるわれのこゑごゑ濁る
殉国の美談なりしか腸のこほりつく夜をにほふしらうめ
しんしんと大樹の杉を容れしめてしづかなるかなや青空の照り
すさまじく焰ぞみちわたる天なればあな美しとかけりあがれる
野いばらの咲き匂ふ土のまがなしく生きものは皆そこを動くな
春がすみいよよ濃くなる真昼間のなにも見えねば大和と思へ
春の夜にわが思ふなりわかき日のからくれなゐや悲しかりける
はろかなる星の座に咲く花ありと昼日なか時計の機械覗くも
しののめの渚にありてわが母のみ足洗ひゐしを夢と思はず 『白鳳』
棒ふつて藪椿の花を落としゐるまつたく神はどこにもをらぬ
青空の奥どを掘りてゐし夢の覚めてののちぞなほ眩しけれ 『天平雲』
青麦の畑のほそみち夕ぐれて千里ゆくがに空もひろくなる
あかあかと紅葉を焚きぬいにしへは三千の威儀おこなはれけむ
うら濁りタベの川のうたかたとおのれながれて行方知られず
かたつむり枝を這ひゐる雨の日はわがこころ神のごとくに弱き
こころざし低からねども或る日には雲の下ゆく雲が苦しも
われは明治の少年なりし枕べの豆ランプの灯ひとつ恋しも
向日葵の畑にのこる夕びかりわかれしひとのもの思ひゐむ 『春の日』
敗戦はかなしけれど眼をぬぐひ今年の花はうつくしと見よ 『紅梅』
やぶれたる国に秋立ちこの夕の雁の鳴くこゑは身に沁みわたる 『積日』
いくつものなめくぢ梅の幹這へり梅の身にならば堪らざらむ 『捜神』
香具山の松の木の間に藤原の宮阯かへり見れば雲雀鳴くなる
切り炭の切りぐちきよく美しく火となりし時に恍惚とせり
紅梅にみぞれ雪降りてゐたりしが苑のなか丹頂の鶴にも降れる
先つ日に死ぬべかりしが生ありてまた襤褸を着て梅花を見てをり
五月雨の夜を硝子戸に腹見せて守宮はをりき燈火消すまで
妻が洗ふうすくれなゐの秋生姜はじかみ見つつ心入り組む
梅雨ふけて思想なき蟇のだらしなく裏返りたればわが憎みけり
薔薇花にリボンをつけて持て来るいつの日とてもよき贈りもの
ひとことも明しえざりし古き恋明治の末の少年われは
火の如くなりてわが行く枯野原二月の雲雀身ぬちに入れぬ
梨汁のみちに霰のたばしればわれ途まどひて拾はむとせり
われとわが鞄のほかは物なべて異郷かと思ひあたり見まはしぬ
葛城の夕日にむきて臥すごときむかしの墓はこゑ絶えてある 『白木黒木』
さむさむと時雨する日に菊膾食うべてゐればむかしに似たり
新宿のフウテン族にまじりゐし眉濃くしろき顔をわすれず
屋根の上を我は恐るる夜半の雨踏みはづし黒馬落ちはせぬかと
わが頭いよいよ利かず春さきの風とよもして吹くときに怒る
毛ほどの隙も見せずに歩み去る老の白猫がわがこころ知る 『松杉』
月ヶ瀬の谷の空わたる月あれば昼間見し梅花忘れてねむる
東京のをんならよ君らの銀座街をいま女工らはうたひながら行く (歌集未収録)
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