浜田 到 (はまだ いたる)
1918~1968年 アメリカ、ロサンゼルス生まれ。 歌人、詩人。
4歳時に両親の出身地、鹿児島に帰国。旧制姫路高校、旧制岡山医科大学を卒業。鹿児島で内科医として生涯を送る。1935年に歌誌「山茶花」に参加。戦後は、同人誌「工人」「黄」に参加。詩と短歌の作品を残す。詩作品は「浜田遺太郎」のペンネームを用いた。中井英夫に見いだされ、1951年、雑誌「短歌研究」「モダニズム短歌特集」に塚本邦雄らと共に作品を発表。1968年、往診の帰路で交通事故により49歳で没する。
没後、歌集『架橋』、詩集『浜田遺太郎詩集』が刊行される。
浜田 到 著作
1969年 歌集『架橋』 白玉書房
1971年 詩集『浜田遺太郎詩集』 昭森社
浜田到 短歌
一本の避雷針が立ちじりじりと夕焼の街は意志もちはじむ 『架橋』
硝子街に睫毛睫毛のまばたけりこのままにして霜は降りこよ
水平に午睡の町 噴水と少女と抽きんで陽に競りあへり
戸口戸口あぢさゐ満てりふさふさと貧の序列を陽に消さむため
八時間労働おわりし虚空に夕月は遠き異国の紋章のごとし
花の動悸押花にせむ遺されし短き言葉と短き夏と
孤り聴く〈北〉てふ言葉としつきの繁みの中に母のごとしも
ふとわれの掌さへとり落す如き夕刻に高き架橋をわたりはじめぬ
星たちの言葉の林に眠りおち夜明けには拾ふ夥しき鳥
本の上よぎる鳥影われはよみ憐み掠むる言葉をも読む
水飼場まみづの匂ひくらやみに牛・馬らのみ聖家族なす
みづからを愛し得ざりし一人にて月の下びの肺びやうの我れ
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