塚本 邦雄 (つかもとくにお)
1920年~2005年 滋賀県生まれ。歌人、詩人、評論家、小説家。
1947年、前川佐美雄に師事。「日本歌人」に入会。1949年、杉原一司と同人誌「メトード」創刊。1951年第一歌集『水葬物語』を刊行。短歌結社に所属せず、反写実的で斬新な作品は歌壇からは黙殺されたが、三島由紀夫らに注目され、 しだいに支持を集める。1959年、第三歌集「日本人霊歌』で現代歌人協会賞受賞。1960年、寺山修司らと同人誌「極」創刊。1963年頃から 多方面な活動を始める。1987年『茂吉秀歌』出版。その他歌集に『装飾楽句』『感幻楽』などがある。
戦前の斎藤茂吉に比肩しうる巨星。前衛短歌の支柱的存在であり、戦後最大の歌人とも言われる。
塚本邦雄 短歌
海底に夜ごとしづかに溶けゐつつあらむ。航空母艦も火夫も『水葬物語』
楽人を逐つた市長がつぎの夏、蛇つれてかへる―市民のために
革命歌作詞家に凭りかかられてすこしづつ 液化してゆくピアノ
ギニョールの一座の花と墓守のあひびきの夜を乾ける森よ
くりかへし翔べぬ天使に読みきかすー白葡萄醋酸製法秘伝
受胎せむ希ひとおそれ、新緑の夜夜妻の掌に針のひかりを
聖母像ばかりならべてある美術館の出口につづく火薬庫
戦争のたびに砂鉄をしたたらす暗き乳房のために祈るも
ダマスクス生れの火夫がひと夜ねてかへる港の百合科植物
黴雨空がずりおちてくる マリアらの真紅にひらく十指の上に
はれやかに喪服のえりをたてて棲む夫人の ヴィラの喇叭水仙
砲煙のなはたちこむる森・森にすみれをさ がす父の墓碑への
湖の夜明け、ピアノに水死者のゆびほぐれおちならすレクイエム
喪の花のやうに運河を過ぎゆきし流氷は明きはるの港に
明日のため睡るものらに向日葵の種子こまやかに露をふふめり『装飾楽』
暗渠の渦に花揉まれをり識らざればつねに冷えびえと鮮しモスクワ
飼猫をユダと名づけてその味き平和の性をすこし愛すも
原爆忌昏れて空地に干されるし洋傘が風にころがりまはる
五月祭の汗の青年 病むわれは火のごとき孤独もちてへだたる
青年の群れに少女らまじりゆき烈風のなかの撓める硝子
頭髪につめたき油そそぎ出づ恋あふれたる薄暑の巷
生牡蠣の舌につめたき春の夜と埃及の絵の奴隷を愛す
水に卵うむ蜉蝣よわれにまだ悪なさむため の半生がある。
われの戦後の伴侶の一つ陰険に内部にしづくする洋傘も
頭巨ぎ父が眠りてわがうちに丁丁と豆の木を伐るジャック『日本人霊歌』
熱き湯に佇ちておもヘばランボーの死のきはに断ち切られたる脚
口ゆがむまでにがき愛みごもりしモナ・リ ザ、釵のごとき手組める
月光の市電軋みて吊革に両掌纏かれしわれの磔刑
春夜、電車のまぶたおもたきわれにむけ青年のスケート靴の蒼き刃
ずぶ濡れのラガー奔るを見おろせり未来にむけるものみな走る
石鹸積みて香る馬車馬坂のぼりゆけり ふとなみだぐまし日本
戦死者ばかり革命の死者一人も無し 七 月、艾色の墓群
祖国その惨澹として輝けることば、熱湯にしづむわがシャツ
皮膚藍色の菖蒲を剪りてわが誕生日なり生るるは易し
天使キャラメル広告塔に昼死せる天使がむらさきのうす笑ひ
日本脱出したし 皇帝ペンギンも皇帝ペン ギン飼育係りも
はつなつのゆふべひたひを光らせて保険屋が遠き死を売りにくる
久しき危機まひるめし屋に人充ちて視入る墓石のごときテレヴィに
復活祭雨衣の少女の背に垂れて施物を待つごとき頭巾よ
平和祭 去年もこの刻牛乳の腐敗舌もてたしかめしこと
未知は救ひ夏ふかくなり水槽に豆腐傷つきあひつつ沈む
ゆでたまご売りの老婆が公園へ走る 安息日に栄光あらむ
夜の紫陽花黒くしたたり孤独なる二人むすばれて二人の孤独
ロミオ洋品店春服の青年像下半身なし***さらば青春
われの危機、日本の危機とくひちがへども甘し内耳のごとき貝肉
愛人の愛遅遅として群青の沓下をその底より編めり 『水銀伝説』
鮎の口焼けのこりつつ金網が赤し休暇は死ののちにこそ
海胆すすりつつ暁を漁夫歩みわれは覚むいま下半身より
輝くランボーきたり、はじめて晩餐の若鶏のみだりがはしき肋骨
記憶の中の死者、生者より冱えざえと笑ふ腸のごときマカロニ
金木犀 母こそとはの娼婦なるその脚まひるたらひに浸し
燻製卵はるけき火事の香にみちて母がわれ生みたること恕す
こよひ巴里に蒼き霜ふり睡らざる悪童ラン ボーの悪の眼澄めり
父とわれ稀になごみて頒ち読む新聞のすみの海底地震
父はむかしたれの少年、浴室に伏して海驢のごと耳洗ふ
肉屋はさくら色の肉吊りヴェルレーヌ蹴て愛したる夏もまぼろし
娶らざりしイエスを切に嘉しつつかなた葎の夭き蝮ら
冷蔵庫内に霜ふり錐形の死の睡りもて熟るる苔桃
われの輝くいづこを狙ひ荒淫の彼の手のわななける拳銃
揚雲雀そのかみ支那に耳斬りの刑ありてこの群青の午 『緑色研究』
医師は安楽死を語れども逆光の自転車屋の宙吊りの自転車
馬轢死して一塊のうらわかき子宮に夏のひかりはそそぐ
鵞鳥卵つめたしガルガンチュアの母生みパルパイョ国の五月雨
カフカ忌の無人郵便局灼けて頼信紙のうすみどりの格子
雉食へばましてしのばゆ再た娶りあかあかと冬も半裸のピカソ
五月来る硝子のかなた森閑と嬰児みなころされたるみどり
婚姻のいま世界には数知れぬ魔のゆふぐれを葱刈る農夫
祝婚のここより見えて隧道に入る貨車つひのすみかのひかり
出埃及記とや 群青の海さして乳母車うしろむきに走る
生誕より死へ 新緑の傾斜字体一樹濡れ立つ樅のわかもの
体育館まひる吊輪の二つの眼盲ひて絢爛たる不在あり
蓬野に母ひざまづきにくしみの充電のごとながし授乳は
緑蔭を穿ちて植ゑし新緑の杉 愛しすぎて友を失ふ
檸檬風呂に泛かべる母よ夢に子を刺し殺し乳あまれる母よ
いたみもて世界の外に佇つわれと紅き逆睫毛の曼珠沙華 『感幻楽』
馬を洗はば馬のたましひ冱ゆるまで人恋はば人あやむるこころ
おおはるかなる沖には雪のふるものを胡椒こぼれしあかときの皿
固きカラーに擦れし咽喉輪のくれなゐのさらばとは永久に男のことば
雁かへる検眼表にかたかなの呪文かすめりケシチリハツレ
錐・蠍・旱・雁・摘摸・檻・囮・森・橇・ 二人・鎖・百合・塵
恋に死すてふ とほき檜のはつ霜にわれらがくちびるの火ぞ冷ゆる
はたちこころざしくづれて廿歳雪の上を群青の風過ぎし痕あり
壮年のなみだはみだりがはしきを酢の壜の縦ひとすぢのきず
ほほゑみに肖てはるかなれ霜月の火事のなかなるピアノ一台
雪はまひるの眉かざらむにひとが傘さすならわれも傘をささうよ
茱萸に月光 漁夫牧夫ほか十二人耶蘇を愛す完膚なきまで 『星餐図』
自転車になびく長髪熾天使らここ過ぎて煉獄の秋を指す
掌ににじむ二月の椿 ためらはず告げむ他者の死こそわれの楯
ひだり手にわかものの肩 ずぶ濡れの傘もつ右手炬のごときかな
蓮田に雨 明日わが心うらぎらむ言葉たまゆら花の間に顕つ 『蒼鬱境』
すでにして詩歌黄昏くれなゐのかりがねぞわがこころをわたる 『青き菊の主題』
何に殉ぜむジュネ、ネロ、ロルカ、カリギュラと秋風潜る耳より鼻へ
夜の曇天絹張るごとし恋を得てちかづけばいまおぼろなる父
うす暗くして眩しけれ父と腕触る満開の蝙蝠傘の中
飲食の思ひはかなき青麦の穂は花店に束ねられたり
秋つばめ紺にうるみてわが歌の数千来し方ゆくへを知らず 『されど遊星』
あはれ知命の命知らざれば束の間の秋銀箔のごとく満ちたり
キリストとイエスの間厳しきにあやまちてたそがれのひるがほ
黒人の蒼きししむら撓ひつつ氷はこべり ここ過ぎて黄泉
山水図の空に微熱の月うるむ或はあやまてりしわが詩歌
散文の文字や目に零る黒霞いつの日雨の近江に果てむ
玄鳥の空截るひかり五月また未知を恩寵としてあり経む
かなしみのすゑに澄みゆくいのちぞと霧冷ゆる夜夜の菊にむかへり 『透明文法』
藍青の海近き街とすがしめど水汲めば水の鹹く濁りつ
燕麦かわける束をかきいだき歩め藍青濃き死の方へ 『睡唱群島』
壮年の今ははるけく詩歌てふ白妙の牡丹咲きかたぶけり 『閑雅空間』
初蝶は現るる一瞬とはざかる言葉超ゆべきこころあらねど
夢の沖に鶴立ちまよふ ことばとはいのちを思ひ出づるよすが
さなきだにかをるゆふべのたちばなよ倭漢朗詠集夏開く 『黒曜帖』
秋風の曾曾木の海に背を向けてわれは青天よりの落武者 『天変の書』
秋風に思ひ屈することあれど天なるや若き麒麟の面
六月の蒼き雁来紅十四本歌はむにはや歌ぞ亡びし
杉の梢星を放てり人にあるわれやこの世に何を放たむ 『歌人』
晩餐のここより見ゆる落雷樹けぶるそのしろたへの裂創
青酸漿まばらなれども直江津に一夏すぐさむ父にて候 『豹変』
歌のほかの何を遂げたる 割くまでは一塊のかなしみの石榴
みじかき夏そのみじか夜のあかつきにくる言ひとつ
未来と言へどただ老ゆるのみ十月の水に鉄片のごとき蝶
いほどもなき夕映にあしひきの山川呉服 店かがやきつ 『詩歌変』
春疾風高速道路入口の門番にうつくしき娘あれ
殺したいほど羞づかしききさらぎの駅頭の処女らの万歳
崩御とはかぎらざれども鮮紅の夕映ののちに何かがおこる
天にたまはる二物の一つ風の日は風のにほひに恍たるこころ 『黄金律』
黒葡萄しづくやみたり敗戦のかの日より幾億のしらつゆ 『魔王』
原爆忌忘るればこそ秋茄子の鴫焼のまだ生の部分
たまきはる命を愛しめ空征かば星なす屍などと言ふなゆめ
冬のダリアの吐血の真紅 おほきみの辺にこそ死なざらめ死なざらめ
若葉の帚草一束は森林太郎への供華 匿名の少女らが 『献身』
原子炉大内山に建設廃案となりにけりすめらみこと万歳? 『風雅黙示録』
貴船明神男の声に告げたまふ「そらみつやまときのふほろびき」 『泪羅変』
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