高田浪吉(たかだ なみきち)
1898~1962 東京出身。大正-昭和時代の歌人。
小学校卒業後、下駄塗装業に従事。1916(大5)年18歳の時「アララギ」に入会。島木赤彦に師事。同年、松倉米吉らと 同人誌「行路の研究」を発行。エリートが多い「アララギ」に、下町の職人階級の歌声が入ったということは注目。米吉との友情は、米吉の死後『松倉米吉歌集』を編むことになる。
1923(大12)年関東大震災で家を焼かれ、母と妹を失う。その時のことを詠んだ歌集『川波』で注目される。
その後、赤彦の「アララギ」編集を助けたが、赤彦の死後、「アララギ」編集人となった斎藤茂吉、土屋文明と鋭く対立した。
浪吉は、素直でやわらかな感受性が感じられる歌を詠む。マルクス主義などの革命思想へは行かず、師の赤彦の歌風を守った。作品の上では新風を建てることなく、温和で平明な自然詠や心境詠を詠んだ。
高田浪吉 短歌
人ごゑも絶えはてにけり家焼くる炎のなかに日は沈みつつ 『灰燼集』
焼け死にて人のかたちはわからねど妹どちか母かと思ふ
いとけなき妹よ泣きて燃えあがる火なかに 一人さまよひにけむ 『川波』
乳房のふくらみ育つやは肌をたまゆら見しはかなしかるかな
母うへよ火なかにありて病める娘をいたはりかねてともに死にけむ
ひたすらにおもひ告げむと近くより心をこめて名を呼びにけり
あかつきに目ざめしままに眠らえずおろそかなりしわれの歎かゆ 『砂浜』
朝より晴れしきのふの日をおもひ雨にかくれし山を寂しむ
夜ふけし月の光は身に沁みて庭木のあひに安らぐものを 『家並』
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