斎藤 史(さいとう ふみ)
1909~2002年 東京出身。歌人。
父は斎藤瀏。父が連座した二・二六事件と敗戦は、斎藤 史のその後の思想と感受性に深刻な痕跡を残した。瀏の娘として東京に生まれたが、「定住」する暇もなく日本各地を転居し、妻となり母となった歌人を待っていたのは、敗戦による疎開であった。
反写実的なモダニズムで短歌でデビュー。二・二六事件で父や知人が受刑してのち、自己内部の苦悩と危機を凝視し続けた。史の歌は、日常の生活や家族関係の些事や自然より、人間の卑小な心理の中にこだわる。
1940年第一歌集『魚歌』から1993年『秋天瑠璃』までに五千首の短歌を詠む。
あかつきのどよみに答へ嘯きし天のけものら須史にして消ゆ『魚歌』
岡に来て両腕に白い帆を張れば風はさかんな海賊のうた
かくしつついくたりの骨を拾ふならむわがひろはるる時ぞやすかれ
かつかつと秋は空さへひびきつつわがはらわたも乾くなるべし
更にきびしく更にはげしく生くべしと骨にひびきて秋鳴りにけり
しみじみと墨することもなく過ぎぬ墨する行はやさしきものを
白い手紙がとどいて明日は春となるうすいがらすも磨いて待たう
濁流だ濁流だと叫び流れゆく末は泥土か夜明けか知らぬ
たそがれの鼻唄よりも薔薇よりも悪事やさ しく身に華やぎぬ
乳のますしぐさの何ぞけものめきかなしかりけり子といふものは
南仏にミモザの花が咲き出せば黄のスカーフをわれも取出す
布に汚点ある喫茶店などに入り来て蠅もわれらも掌を磨る午後は
野に捨てた黒い手袋も起きあがり指指に黄な花咲かせだす
はとばまであんずの花が散って来て船といふ船は白く塗られぬ
母がつぶやく日本の子守歌きけば我はまだまだ生きねばならぬ
春を断る白い弾道に飛び乗って手など振つたがつひにかへらぬ
ひそやかに訣別の言の伝はりし頃はうつつの人ならざりし
暴力のかくうつくしき世に住みてひねもすうたふわが子守うた
まことしやかに寂かなる相もよそほへよ強ひらるれば針に蝶も刺す
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