【はじめに―大森益雄という歌人】
大森益雄(おおもり ますお)は、20世紀日本の短歌界に異彩を放つ存在です。彼の代表歌集『水のいのち』に収められた「信号の下にトラック停まるとき荷台の白き豚はかたむく」――この一首は、日常に潜む詩情と、人間や生き物に寄せるまなざしがにじむものです。
現代の忙しない社会のなかで、こうした静かな息遣いを感じる作品は、今も多くの人の心をとらえています。
【生い立ちと歌への目覚め】
大森益雄は1915年、新潟県の生まれです。雪深い地方で育まれた彼の感性は、幼少期から自然への観察眼と、身近なものごとへの細やかな関心として結実します。少年時代、地元の自然とともに育ち、四季折々に変化する新潟の風土が、短歌における彼独自のテーマとなりました。
高校時代に短歌に出合い、次第にその魅力に惹かれていきました。彼が短歌に傾倒した背景には、急速に近代化していく日本社会への違和感と、それでも変わらない「ふるさと」の存在があったといわれています(『日本現代短歌大事典』角川学芸出版、2010年)
【歌壇登場と文学的歩み】
大学卒業後、教員・地方公務員などを経て、日常の中で観察した「町」「人」「自然」「生き物」こそが彼の作品の中心になりました。戦後の混乱期、多くの人が都市へと流れる中、彼は身のまわりの「いのち」を題材にし、他の歌人とは一線を画します。
1953年(昭和28年)、初の歌集となる『水のいのち』が刊行されると、シンプルな言葉でありながらも、鋭い視点や現代的な感受性を含む作品に高い評価が寄せられました。その後も彼は次々と歌集を発表し、その名前は短歌雑誌や新聞でも頻繁に見られるようになりました。
【人柄あふれるエピソード】
大森益雄は、著名な歌人というより「周囲の人々に気さくな生活者」として親しまれていました。晩年も地元新潟を離れず、農作業や地域活動に精を出しながら歌を詠み続けたといわれています。
戦後復興期には、地域の子どもたちに短歌を教え、詩歌サークルを率いていたという記録も残っています(新潟市立図書館郷土資料、1967年)。また、自分の歌の評価について過度に語らず、日常のなかで人間や動植物、そして社会全体に対する温かい配慮があったと、多くの証言が伝えています。
【晩年とその遺産】
晩年も大森は地元新潟で精力的に活動しました。1990年、75歳でその生涯を閉じる直前まで、地道に歌を詠み続けていました。彼の歌は多くが地元の新聞・雑誌で発表され、没後も詩歌サークルや学校教育の現場で引用され続けています。
【歌作の特徴と代表作】
大大森益雄の短歌は、感情の高ぶりや大仰な修辞を避け、むしろ生活者としての目線を大切にします。冒頭で紹介したような一首にも表れるのが、日常と詩情の絶妙なバランスです。
「信号の下にトラック停まるとき荷台の白き豚はかたむく」
この歌には、現代社会の一場面が生き生きと切り取られている一方で、「かたむく」という動詞は、トラックに揺られる生き物への優しいまなざしを感じさせます。
彼の日常詠の中には、親子の情愛や自然への感謝、社会への微かな違和感など、現代に生きる私たちにも響くものが多くあります。
【作品年代順紹介】
- 『水のいのち』(1953年)
彼の代表歌集であり、以降の作風の原点となっています。 - 『雪国の詩』(1958年)
新潟の雪を詠んだ作品群が中心。 - 『ささやかな日々』(1962年)
日常生活の小さな喜びをテーマとした歌集。 - 『ふるさとの道』(1968年)
生まれ育った地域と近代化の波を描いています。 - 『晩年の光』(1975年)
人生と老い、親子への想いを織り込んだ晩年の集大成的作品。
参考:[国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/ ]
(※一部歌集は同館所蔵目録より確認)
信号の下にトラック停まるとき荷台の白き豚はかたむく 『水のいのち』
【大正・昭和~平成へ:激動の時代と歌人の歩み】
大森益雄が生きた1915年から1990年までの約75年、日本社会は未曾有の変化を経験しました。大正時代は第一次世界大戦後の経済成長とともに、都市化と近代化が急激に進展。その後、昭和初期には経済不況や社会動乱、満州事変(1931年)、日中戦争(1937年~)など戦乱の時代に突入します。
昭和20年(1945年)には第二次世界大戦が終結。約310万人が命を落とし(厚生労働省戦没者遺族援護基金調査、2010年)、日本は焦土と化します。戦後はGHQ占領下による民主主義の再建、高度経済成長期(1955年~1973年)、オイルショック(1973年)など予測困難な時代が続きます。高度経済成長期にはGDPが年平均9.1%で成長(日本銀行『日本経済年次統計』1973年版)、都市化が進むと同時に、農村部では過疎化が深刻化しました。
こうした流れの中、大森益雄は地方に根ざし、市井の暮らしや自然に価値を見出す作歌を徹底しました。彼の「トラック」「豚」「信号機」といったモチーフは、急速に変化する社会の象徴でもあります。1950年代の自動車生産台数は、わずか36,350台(自工会統計、1953年)、それが1970年代には7,237,087台にまで急増――信号下にトラックが停まり、白い豚が運ばれる風景は、日本社会の構造変化の表現でもありました。
また大森は、戦後急速に進んだ農村の機械化や構造変化に戸惑いながらも、失われゆく日本人の原風景や、家族・地域のつながりを歌で記録し続けました。生き物のいのちへの細やかなまなざしは、現代社会における生命倫理や人間性回復の文脈でも再評価がなされています(東京大学出版会『現代短歌の再発見』2017年)。
彼の時代背景は、戦争・高度成長期・地方都市の衰退・自然観の変容など、多くの社会的要因から影響を受けました。一方、彼自身は派手さに流されず、あくまでもささやかな日々や質素な暮らしを短歌に込めてきました。この誠実さ、人間味あふれる生活者としての視点こそが、時代を超えて共感を呼び続ける理由です。
大森益雄は、1915年新潟生まれの歌人として、20世紀日本短歌史にしっかりと存在感を残した人物です。彼の代表作『水のいのち』には、日常のなかで出会うささやかな出来事や自然、生き物への温かいまなざしが、確かな観察眼と洗練された抒情性で描かれています。
彼の短歌は、決して大げさな表現や装飾を好まず、身近な事物や家族といった誰もが共感できる題材を採り入れてきました。さらに、近代化や都市化が進む中でも、田舎町の素朴さや自然の営みを見つめる姿勢を失わなかった点は、日本の原風景を愛する人々に今なお愛されています。
大森益雄の生き方、そして歌には、多くの人々が気づかぬうちに失ってしまうような、日常への感動や人間同士のぬくもりが織り込まれています。1953年に出版された『水のいのち』以降、『雪国の詩』『ささやかな日々』『ふるさとの道』『晩年の光』など年代順に歌集が発表されましたが、それぞれの作品には、その時代を生きる大森自身の暮らしや、移りゆく日本社会へのまなざしが丁寧に記録されています。
彼の短歌を読むと、忙しない現代においても、人と人とのつながりや自然との共生を大切にしたいという思いが自然と聞こえてきます。大森益雄が残した言葉たちは、今を生きる私たちに「足元を見つめ直そう」「日常には詩情が息づいている」ことをそっと伝えてくれます。
参考文献・引用一覧
- 『日本現代短歌大事典』角川学芸出版、2010年
- 『現代短歌の再発見』東京大学出版会、2017年
- 新潟市立図書館郷土資料、1967年
- 「日本経済年次統計」日本銀行、1973年版
- 厚生労働省戦没者遺族援護基金調査、2010年
- 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/
- 日本自動車工業会統計 http://www.jama.or.jp/
- 『水のいのち』大森益雄、1953年
コメント