高野公彦 (たかのきみひこ)
1941年~ 愛媛県生まれ。歌人。本名は日賀志康彦。
高校卒業後、日産自動車会社に勤めるが、1年数ヵ月で退職し、東京教育大学文学部国文科に進学して国文学を学ぶ。
学生時代から「コスモス」に所属し、宮柊二に師事する。
新鋭歌人として1976年に『汽水の光』を刊行、高い評価を受ける。
1982年『ぎんやんま』で第18回短歌研究賞受賞。
1985年 同人誌「棧橋」創刊。
1997年 歌集『天泣』で第1回若山牧水賞受賞。
2001年 歌集『水苑』で第16回詩歌文学館賞、第35回迢空賞受賞。
2013年 – 歌集『河骨川』により第54回毎日芸術賞、第5回小野市詩歌文学賞受賞。
2015年 歌集『流木』により第66回読売文学賞受賞。
2019年『明月記を読む』(上・下巻)により第42回現代短歌大賞受賞。など。
「コスモス」選者、 同人誌「桟橋」編集人。
高野らの世代は「微視的観念の小世界」ともいわれ、その独自の感性は 前衛短歌以降の一つの方向を示した。
高野公彦 短歌
あかあかと天ののみどをくだりゆく落暉に向ひつつしみぞする『汽水の光』
あきかぜの中のきりんを見て立てばああ我といふ暗きかたまり
秋さむき光に顕てりあかがねのほとけ美しかりしくちびる
家裏に立てて忘られて梯子あり銀河は一夜その上に輝る
けふと明日のあはひの闇はわがいのち洗ふが如く深く閉せり
白き霧ながるる夜の草の園に自転車はほそきつばさ濡れたり
地震かすか揺りゆきし夜を繊魄はただよふごとく間に泛びつ
なきからを容れて錠さす炉のひびきわがししむらに深く谺す
日ざかりの地まばゆきに旗のごとひるがへるものを着て少女ゆく
ぶだう吞む口ひらくときこの家の過去世の人ら我を見つむる
ふるさとの床下くらしなめくぢのしろがねの道行き幽れたり
みどりごは泣きつつ目ざむひえびえと北半球にあさがほひらき
水底は秋。白々と蟹のからそよぐかたへに蟹居らずけり
雨一夜ふり足らひけり水辺の枝にあかるむ大かたつむり 『淡青』
海に出てなほ海中の谷をくだる河の尖端を寂しみ思ふ
黄落のはじまる森に手でたたく臓あらぬきよき樹木を
霜の朝缶焚火せり遠つ世の闇をひらきし炎一たば
すぐそばを雨が降るかな渋谷街高層レストランに魚食ひをれば
空にある雲のさざなみ雲の水脈仰ぐかな我れ一生半ばに
たましひの深みに脂徹りゆく優しき凄じき 世と思ふ
並べある帽子の下に顔ぞ無き帽子店舗道に向きて灯れり
はるかなるひとつぶの日を燭としてぎんやんま空にうかび澄みたり
ふかぶかとあげひばり容れ淡青の空は暗きまで光の器
ギリシャ悲劇観てゐる君の横がほに舞台の淡きひかり来てをり 『水木』
スクラムを組みつつ触れしひとの乳房やはらかかりき罪のごとくに
青春はみづきの下をかよふ風あるいは遠い線路のかがやき
飛込台はなれて空にうかびたるそのたまゆらを暗し裸体は
平和説きて争ふ如ビラ貼られありそのどれもどれもいつはりは無き
六階の部屋の外よぎる夜の風の暗くさみしき空中のおと
脚を垂れ鷺とべりけり男とふ鬱悒せき性を思ひゐしとき 『雨月』
雨月の夜蜜の暗さとなりにけり野沢凡兆その妻羽紅
川べりの大胡桃の木ゆたかなる水照浴みをり青実青実に
こゑきよきをみなと居ればものおもふよはひをわれはいまだ過ぎずも
茅野を過ぎかへりみざりきまた来むとおもふ信濃の大き起伏を
遍路路の路傍に生ふる大葉子の無名の生を生きませり母は
夜ざくらを見つつ思ほゆ人の世に暗くただ 一つある〈非常口〉
あの縞がわが縞ならば恥しからむ楽しからむと縞馬を見つ 『水行』
貴腐ワイン朝かげ草がひめやかに夕かげ草となりたるうまさ
じゃんけんにぐう、ちょき、ぱぁと井戸があるふらんすよ金髪のふらんすの子よ
電線にいこふきじばと糞するとはつかにひらく肛門あはれ
ねむれ千年、ねむりさめたら一椀の粥たベてまたねむれ千年
はなやかに口語の季節きたるらしさんじゃうばっからふんごろのっころ
水を発つ鷺の脚より水しづくたまゆら散りて冬のかがやき
宮柊二巨き人にて己が才のひらめく歌を詠みまさざりき
ゆたかなる四季環流の埒のそと貝割れ大根ひりひりからし
地中銀河と言はば言ふべし富士山の胎内ふかく行く寒き水 『地中銀河』
ミサイルがゆあーんと飛びて一月の砂漠の 空のひかりはたわむ
街川に自転車いくつ水漬きをり死ぬには永き歳月が要る 『天泣』
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