【馬場 あき子】『64選』知っておきたい古典~現代短歌!

泰山木(タイサンボク)

泰山木(タイサンボク)

 馬場 あき子 (ばば あきこ)

馬場あき子(ばば あきこ、1928年1月28日~)は、昭和から平成、令和へと時代を駆け抜けてきた日本を代表する歌人、評論家、能作家、教育者である。本名を岩田暁子という。東京に生を受け、戦中・戦後の激動の時代を生き抜いた歌人として、その歩みは日本の現代短歌史と深く重なっている。

日本女子専門学校(現・昭和女子大学)国文科を卒業後、1947年に歌誌「まひる野」に入会。窪田章一郎に師事し、短歌の基礎を築き上げた。同時期に能楽喜多流宗家への入門を果たし、古典芸能への深い造詣を身につけていく。この二つの芸術との出会いは、後の馬場の創作活動に大きな影響を与えることとなった。

1970年代、現代短歌の前衛的な動きが隆盛を極めた時期にあって、馬場は独自の立ち位置を確立。伝統的な和歌の技法を踏まえながらも、現代的な感性と知性を融合させた新しい女性の歌の世界を切り拓いた。その歌風は繊細かつ豊かな感受性に満ち、知的な深みを湛えている。

青年歌人会議や東京歌人集会での活動を通じて、現代短歌運動の中心的存在として精力的に活動。特筆すべきは、古典や能への深い理解を基盤としながら、斬新な連作スタイルや細やかな表現技法を確立したことである。現在は歌誌「かりん」の主宰として後進の指導にも尽力し、朝日歌壇選者としても活躍。その功績により旭日中綬章を受章し、日本芸術院会員としても名を連ねている。

70年以上にわたる創作活動は、1万首を超える歌の集積となって『馬場あき子全歌集』(角川書店)に結実。伝統と革新、古典と現代、その狭間で独自の歌の世界を築き上げ、現代短歌の新境地を切り拓いてきた馬場あき子の存在は、日本の短歌史に大きな足跡を残している。

 馬場 あき子 著作(歌集)

1955年『早笛

1959年『地下にともる灯』

1969年『無限花序』

1972年『飛花抄』

1977年『桜花伝承』

1980年『雪鬼華麗』

1985年『晩花』

1985年『葡萄唐草

1987年『雪木』

1988年『月華の節』

1991年『南島』

1993年『阿古父』

1995年『暁すばる』

1996年『飛種』

1997年『青椿抄』

1999年『青い夜のことば』

2000年『飛天の道』

2001年『世紀』

2003年『九花』

2008年『太鼓の空間』

2011年『鶴かへらず』

2013年『あかゑあをゑ』

2015年『記憶の森の時間

『渾沌の鬱』

『あさげゆふげ』

 

 馬場 あき子 短歌

あの遠き低きあたりの尾根道に君が折りたるこの花すすき 『早笛』

今やわれ妻と言ふ名に落着くと青きタベのキャベッをほどく

今日何に思ひはせてか少年ら平和について語れと言ふも

黒松の曲りもみせぬ太き幹しめりをもちて 沼風に立つ

少年ら受験に痩する教場に水仙の花白く目にたつ

しんとして胸にふくれる泰山木の一輪白く匂ひしづまる  

峠路のぬるでは深く紅ければ頬にやはらに夕陽はもゆる

春の水みなぎり落つる多摩川に鮒は春ごを生まむとするか

ひとり身をなげきつつ今も婚はむともせぬ淋しき女の君も一人か

清経の能はてし床ひっそりと腰かがまりて笛方はたつ 『地下にともる灯』

水仙

水仙

系列をはみ出してゆく語を愛し少年は忌むわれの文法

ひるがえるもの皆軽き初夏となり椎はゆるがぬ緑を抱く

草むらに毒だみは白き火をかかげ面箱に眠らざるわれと橋姫 『無限花序』

ゲルニカの牛昏き目をみひらけりデモ隊街にもつ勝利の錯誤

ここすぎてゆくべくもなき思いなど書きはててふいに青葉深けれ

水甕に命やしなう水は冷ゆひとりに堪えよわれのイザナミ

拠るべきは己れひとりか一の松すぎてたしかめいる決意あり

秋の夜の井戸に音あり深奥のはるけき銀河汲まれいるなり 『飛花抄』

雄ごころやわれに流れて虹たつをむかし群盗のほろびたる石  

かがやきて散りたる<時>のかけらあり夏の渚は夕映えしまま

椿

椿

志くずれゆくごと見られつつひと庭しろき鷺草も散る

何もののひづめの音か夜のふけの眼裏まなうらまでを来てはとどまる

母のよわいはるかに越えて結う髪や流離に向かう朝のごときか

ひたおもて晒してあれば疾風はやちして身を離れゆくくれないのかず

迷わねど思いにたがう日日なれば純白の帆のほしき午後なる 

われのおにおとろえはててかなしけれおんなとなりていとをつむげり

青水沫あおみなわ五月は涼し女手に滅ぼししものいまだなかりし 『桜花伝承』

あざやかに朱の浮子うきひとつ上りきてしずかにさかりなる夕日水

植えざれば耕さざれば生まざれば見つくすのみの命もつなり

大江山桔梗刈萱吾亦紅 君がわか死われを老いしむ

ダリア

ダリア

さくら花幾春かけて老いゆかん身に水流の音ひびくなり

夭死せし母のほほえみ空にみちわれに尾花の髪白みそむ

忘れ得ぬ心みたりし春のこと千の椿の葉の照りかえし

忘れねば空の夢ともいいおかん風のゆくえに萩は打ち伏す

われにいかなるよわいか来つるゆくりなく雁の来る空ことし見にけり

夜半さめて見れば夜半さえしらじらと桜散りおりとどまらざらん 『雪鬼華麗』

抱えゆく農婦のダリヤ一、二本こぼれ岬に地蔵盆来る 『ふぶき浜』

捨て船と捨て船結ぶもがり縄この世ふぶけば荒寥の砂

迷いなき生などはなしわがまなこ衰うる日 の声凜とせよ

一削ぎに氷見がけづりし痩面の頬を実しと鳴けきりぎりす 『葡萄唐草』

百日紅(さるすべり)

百日紅(さるすべり)

まはされてみづからまはりゐる独楽の一心澄みて音を発せり

百合咲きて蛇いでゆけりゆつくりと苦しげに朝の道わたりゆく

わが思ふ紫式部蛍火の暗き心にもの書けといふ

わたり来てひと夜を啼きし青葉木菟二夜は遠く啼きて今日なし

手づかみて炭を切りたる深霜の遠昔にていまも梅咲く 『雪木』

頼朝を心に飼ひて頼朝とならざりし者に稲は熟れたり

月山は霧におぼれてゐたるのみみちのく声のの背も見えぬ 『月華の節』

君が舞型かそけくわれに残りゐて君しのぶときかくて舞ふなり

さるすべり散りて小さき蝉の穴ほのかに翳り秋風となる 

下野しもつけの芦野の柳若柳むかし知らねばさはやかに散る

梔子(クチナシ)

梔子(クチナシ)

はやく昔になれよと心かなしみし昔の香もて梔子は咲く

男の論かすか不可思議されどなほわがほほゑみもかすか不可思議 『南島』

精神といふいぶせきものを持てばなほ雨後の山河の澄むまでを見つ

虫といふあだ名の教師ありたるをわれ虫になり師走をこもる

琉球処分ここにして聞く沖縄にやまとを聞けば恥多きなり

黄金の落葉松はいと高らかに笑ひゐて蔵王の深き沈黙 『阿古父』

高千穂に来しはさびしさにあはむため朝日ただ刺す国に目覚めて

喉切れば正身むざねあらはる父といふ明治の骨の怒りあらはる 

白桃の二つほど水に沈みゐし銀河の夜の父母と子のわれ

風景はあはあはと眼にみちゐたり面影にみる死者阿古父尉あこぶじょう

秋風は過去の索引そのなかに萩咲けば萩は思ひ出づらむ 『飛種』

大白百合カサブランカの水を吸ふ勢ひみえて母は死者たり 

腹を据ゑるといふ男らの声は行きどこかつまらなく生きるに似たり

恐竜展出づる酷暑の夕ぐれを尾のなき二足歩行者あはれ 『青椿抄』

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