田井 安曇(たい あずみ)
1930年(昭5)~2014年 長野県出身。昭和後期-平成時代の歌人。本名、我妻 泰(わがつま とおる)。ペンネームの安曇は安曇野より取っている。出身は飯山市。
土屋文明、近藤芳美に師事する。「花実」「アララギ」などをへて、昭和26年近藤芳美の「未来」創刊に参加。詩と生活は一体である社会派歌人。59年「経過一束」で短歌研究賞。63年「綱手」を創刊、主宰。
初期作品を集めた『木や旗や魚らの夜に歌った歌』は瑞々しい青春歌集。前衛短歌の影響下に書かれた代表歌集『我妻泰歌集』は、 安保闘争の政治前衛と文学前衛が交錯した時代の熱い記録である。
平成22年「千年紀地上」で詩歌文学館賞。平成26年11月2日死去。
田井 安曇 著書
- 我妻泰歌集(1967)
- 木や旗や魚らの夜の歌った歌(1974)
- 天乱調篇(1975)
- たたかいのししむらの歌(1975)
- 水のほとり(1976)
- 右辺のマリア(1978)
- 父、信濃(1985)
- 経過一束(1990)
- 春の星(1996)
- 山口村相聞(1997)
- 千年紀地上(2009)
田井 安曇 短歌
嗅ぎあうまでの擦過のデモにいて太りたし ああ父のごと太れ『我妻泰歌集』
かなしみてポプラに化れる娘らのいにしえならぬ日が過ぎている
八月の旅うらわかき死者たちの草わが足は踏みてゆくかな
罰として生きいる魂のみちている空間として楕円はありつ
「左」からはたかれて紛れなきうつつわが在りし大会の速報は来る
敗けつづけゆくこの昏き断崖にひしひしと根を張れよ 怒りは
むらぎものあるところよりむせびつつ紛れなく小さなるわれは右翼者
六月の昂揚のうち芽を吹きて天に登りし豆の木あわれ
沙見ゆる細き流れを夜に越えて海辺のわれの部屋をさびしむ『木や旗や魚らの夜に歌った歌』
攻防の画面を一と日見ずありし意志など意志と呼びうるや否や 『水のほとり』
闇にまぎれて帰りゆくこのよるべなきぼろぼろをわれは詩人と呼ぶ
乾ききって根の現わるる崩え土に触りてこの夜半通り来にけり 『右辺のマリア』
ひとり立ち言葉を持たぬ木の故にただましぐらに黄葉せりけり
ダマスコののちのパウロが経ていたることばのあらぬ荒野の日々や 『父、信濃』
頒けたもうルルドの水の透く水を父に携う希いを持ちて
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