玉城 徹(たまき とおる)
1924年~2010年 宮城県仙台市生まれ。昭和~平成時代の歌人。文芸評論家。
16、7歳の頃、北原白秋を自ら師と選んで「多磨」に入会、歌を始める。白秋没後は、 巽聖歌に指導を受ける。1944年(昭和19年)第二高等学校卒業。1945(昭3) 年、東京大学在学中に学徒出陣を経験。青年期の戦争体験は、後の文学活動に深く影響している。戦後は、都立高校の教師を務めるかたわら短歌を続け、歌壇や戦後派短歌、前衛短歌から永く距離を置き、ただ一人、詩や短歌の研究に没頭した。「多磨」 解散以後どこの結社にも属さず、独自の活動を続けた。
1962年、38歳の年、それまでの歌から200首を選び集めて、第一歌集『馬の首』出版。
1971年、山崎方代、片山貞美らともに同人誌『寒暑』創刊(6号で廃刊)
1972年『樛木』で第24回読売文学賞受賞。
1978年 歌誌「うた」創刊、主宰。
1980年『われら地上に』で第13回迢空賞。
2000年『香貴』で短歌新聞社賞・現代短歌大賞受賞。
玉城徹 短歌
いづこにも貧しき路がよこたはり神の遊びのごとく白梅 『馬の首』
木々芽ぶく根かたにをりて琺瑯のうつはのごとく鳥は青めり
積みてある貨物の中より馬の首しづかに垂れぬ夕ベの道は
深き空ゆ吐息のごともおり来たる風ありて枇杷の葉むらをわかつ
まなこより血を流しつつ白鳥がタベの濠に頭めぐらす
親指ゆ水したたりて石像のごとくにをりぬ夜半のひととき 『膠木』
十字架につけよと言へば十字架につけよと応ふ群集かれら
冬ばれのひかりの中をひとり行くときに甲冑は鳴りひびきたり
亡命者マルクスを思ひマルクスの娘を思へば涕とまらず
夕かぜのさむきひびきにおもふかな伊万里の皿の藍いろの人
夕ぐれといふはあたかもおびただしき帽子空中を漂ふごとし
ゆりの木のかたへを過ぎて幅ひろき石のきざはしをわがのぼりつつ
夜空より落ちはなれたる肉の疣われは跳ねゆく鋪装のおもてを
眼ざむればわが前に立つ若ものの腿のししむらみちたるズボン 『汝窯』
晩餐をしたためをへて厭世家ショペン ハウェル笛吹きけらし 『われら地上に』
わが内部に明るくは澄む群肝やくれなゐの心臓むらさきの肝臓
しづかにも夜の路面より鋼の蓋かがやけりこれわがよろこびぞ 『徒行』
あ、さうか。始めに〈国家〉ありきだと。手づかみに民を啖ふその影 『蒼耳』
いにしへゆ柔らげがたきみちのくにわが得しいのち遂げざらめやも
日ならべて壺に隠るるわがいのち窗より青き富士に覗かる 『窮巷雑歌』
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