さくら
サクラは、バラ科サクラ亜科サクラ属の落葉広葉樹で、日本人の精神、文化で大きな位置を占める代表な花です。その優美な姿と、儚くも力強い生命力は、日本人の美意識や価値観を形作る重要な要素となってきました。
桜は春の象徴として、和歌、俳句をはじめ文学、芸術全般において非常によく使われており、多くの音楽、文化作品が生み出されています。その表現は時代とともに変化しながらも、常に日本文化の中心的なモチーフとして親しまれ続けてきました。桜を題材とした作品は、古典から現代まで途切れることなく創作され、その数は計り知れません。特に、春の訪れを告げる存在として、また、人生の節目や季節の移ろいを表現する際の重要な象徴として用いられてきました。
古来から農事の吉凶を占う花として、稲作神事に関連していたともされ、非常に大切なものでした。また、桜の開花は、他の自然現象と並び、農業開始の指標とされた場合もあるようです。この伝統は、日本の農耕文化と深く結びついており、桜の開花時期が農作業の開始を告げる自然のカレンダーとして機能していました。古くは、桜の開花具合によって、その年の稲作の豊凶を占うという習わしもあったとされています。
奈良時代の『万葉集』には、桜を含む様々な植物が登場しますが、当時は中国文化の影響が強く、和歌などで「花」といえば梅を指していました。それを裏づけるように、歌われた桜の多くは、山野に自生するものでした。『万葉集』においては梅の歌118首。対して桜の歌は44首に過ぎません。2019年5月1日からの元号である『令和』も万葉集にある梅花の宴が典拠となっています。この時代、梅は中国からもたらされた高貴な花として扱われ、知識人たちの間で特に重宝されていました。一方、桜は日本の山野に自生する野趣あふれる花として認識されており、その扱いには明確な違いがありました。
サクラの地位が特別なものとなったのは平安時代であり、『古今和歌集』では都の花として時めくようになり、徐々に桜の人気が高まり春の「花」と言えば桜を指すようになりました。この変化は、日本文化が中国文化の影響から徐々に独立し、独自の美意識を確立していく過程と密接に関連しています。平安時代には、貴族たちの間で桜の花見が盛んに行われるようになり、和歌の題材としても頻繁に取り上げられるようになりました。
特に注目すべきは、桜が日本の風土や感性と深く結びついていった過程です。梅が整然とした美しさや芳香で愛されたのに対し、桜は一斉に咲き誇り、はかなく散っていく様に日本人特有の美意識が投影されていきました。その美しさは、「もののあわれ」や「無常観」といった日本的な美意識と結びつき、より深い文化的意味を持つようになっていったのです。
このように、桜は単なる植物としてだけでなく、日本文化を象徴する存在として、また日本人の精神性や美意識を表現する媒体として、重要な役割を果たしてきました。農事との関わり、文学での表現、美意識との結びつきなど、多面的な意味を持つ桜は、今日に至るまで日本人の心の奥深くに根付いている特別な存在なのです。
桜の短歌(和歌)
木の間なる染井吉野の白ほどのはかなき命抱く春かな 与謝野晶子
清水へ祇園をよぎる桜月夜こよひ逢ふひとみなうつくしき 与謝野晶子
年ふればよはひは老いぬしかはあれど花をし見れば物思もなし 藤原良房
桜、さくら、街のさくらにいと白く塵埃吹きつけけふも暮れにけり 北原白秋
君見ずば心地死ぬべし寝室の桜あまりに白きたそがれ 北原白秋
鐸鳴らす路加病院の遅ざくら春もいましかをはりなるらむ 北原白秋
死ぬばかり白き桜に針ふるとひまなく雨をおそれつつ寝ぬ 北原白秋
静かなる秋のけはひのつかれより桜の霜葉ちりそめにけむ 北原白秋
いやはてに鬱金ざくらのかなしみのちりそめぬれば五月はきたる 北原白秋
世中にたえてさくらのなかりせば春の心はのどけからまし 在原業平
しろじろと花を盛りあげて庭ざくらおのが光りに暗く曇りをり 太田水穂
朝空のみどりに触るるひとところさくらに風のありとしらるる 太田水穂
桜さく島のあらしに雲仙の大嶺の曇りよこたはりたり 太田水穂
花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに 小野小町
日向山けふ日は曇りみつまたもさくらの花も過ぎにたるなり 森岡貞香
友だちと桜の薪を焚きにつつ明日へは行かず楽しきことの 森岡貞香
さくらのはなびら緑色なるを見よといふ五本並びて若木の桜樹 森岡貞香
雨のふる花の林のこの音はさくらの花の打ち垂るる音 森岡貞香
雨に濡るる小草を敷きて昼餉を食むとさくらは薄く山原に咲く 森岡貞香
さくら花ちりぬるかぜのなごりには水なき空に浪ぞたちける 紀貫之

さくら 白
後世は猶今生だにも願はざるわがふところにさくら来てちる 山川登美子
兵士らの死の報灰のように降りじいんじいんと鳴くなり桜 松平盟子
さくら食むキリンをおもう柔らかく首曲げて夕べ五分咲き桜 松平盟子
うすべにに葉はいちはやく萌えいでて咲かむとすなり山桜花 若山牧水
戦友会の桜の幹を黒くして海も濡らして一月の雨 前田康子
八十にあと一年の父と母透かし見ており淡き桜に 前田康子
熱心なドラミング聞こえ木の屑が桜見上げる頬に落ち来る 前田康子
桜ばないのち一ぱいに咲くからに生命をかけてわが眺めたり 岡本かの子
桜前線に追はるるやうに脱藩のねずみら走りわが家にひそむ 馬場あき子
九品寺の墓所に桜は散りしきて死はなつかしきものになりゆく 馬場あき子
さくらからさくらに架かる朝の橋白猫のごとし誰もわたらず 馬場あき子
おもしろき世のことなほもあるごとくさくら見にゆきふかく疲れぬ 馬場あき子
愛こめて頸締めあひし若き日の桜の色のかへる三月 馬場あき子
何事もなかりし歳月それぞれの思ひにありて桜みてゐる 馬場あき子
散りつもる桜素足に踏みゆけば若きあやまちのありしおもひす 馬場あき子
勝負服着るわかものに桜咲きわれに残れる勝負なくなる 馬場あき子
夜半さめて見れば夜半さえしらじらと桜散りおりとどまらざらん 馬場あき子
さくら花幾春かけて老いゆかん身に水流の音ひびくなり 馬場あき子
ふぶきくる桜のもとに思ふこと押しなべて暗したたかひの惨 岡野弘彦
花散りかひ傷むところある身にふれておぞ毛たつまでうつくしき風 五島美代子

桜
雨の谿間の小学校の桜花昭和一けたなみだぐましも 岡井隆
寂しげに白梅笑い口開けて桜笑うと今に知りたり 大下一真
峠路になだれて桜しずかなり命日の父の墓参に来たり 大下一真
さくら桜さくら降るなりさりながらかの日が還るというにはあらず 大下一真
それはもうどうでもよきこと葉桜となれば大樹も仰がれはせぬ 大下一真
掃き寄する桜落ち葉の香り立ち今日は午後より雨との予報 大下一真
遠山に光の帯なし散る桜目を細め見し母はいまさず 大下一真
朝光に滝なす桜ほれぼれと見上ぐるあれは西行法師 大下一真
散り初めし桜落ち葉を掃く手とめ僧くしゃみしてまたひとつせり 大下一真
境内を覆うしだれの百年の桜が月下を風にそよげり 大下一真
さくらばな陽に泡立つを目守りゐるこの冥き遊星に人と生れて 山中智恵子
さくらさくら茫洋と咲き愛さずにいられなかったひとに逢いたし 中川佐和子
ほんとうにもう行ってしまう子に言いぬ今年の桜が一番きれい 中川佐和子
葉ざくらの雨の桜の幹黒しあきらめて身軽になれという声 永田和宏
喪の幕を張りめぐらせる路地の口幕越えて桜の花枝は垂る 永田和宏
水底にさくら花咲くこの暗き地上に人を抱くということ 永田和宏
満開の桜に圧され少しずつペニスが膨らんでくる 永田和宏
湖の縁川の岸また校庭に植ゑられて桜は境界の花 永田和宏
堤にはかならず桜が植ゑられて花を映して水流れゆく 永田和宏
鴨川には桜がやはり似合ふかと上流を見て下流をも見つ 永田和宏
サンチョ・パンサ思ひつつ来て何かかなしサンチョ・パンサは降る花見上ぐ 成瀬有
病みがちに生きて桜のはな食ぶる現もあはれ野の鳥に似て 田谷 鋭
亡き人の桜の歌のあざやけきくれなゐ思ひ冬木みち行く 田谷 鋭
花咲かせすべてを散らす大仕事了へし桜に甘雨ふりをり 高野公彦
神あらぬ鬼あらぬ世をながれきてさくらはしづむ不忍池 坂井修一
高齢者マンションにも齢重ね重ね夜ざくらの更く届く灯りの限り 近藤芳美
「アララギ」終刊に触るるべき稿幾つ書き次ぎて雨にさくら過ぎむを 近藤芳美
山上のさくらのはなのふぶきたるのちに来るなりこの春の忌は 小林幸子
花咲きて花ちりまがふこの春のさくらにいのちせかるるごとく 小林幸子
さくら咲く水分神社にゆかむとす胸突き坂をゆめにのぼりて 小林幸子
小さなる切込みひとつあるのみにさくらの花弁他者に紛れず 尾崎左永子
歌は愁ひの器にあらず武器にあらずさくら咲き自づからことばみちくる 尾崎左永子
めつむればまたあふれくる夕光のさくらさながら光の浄土 尾崎左永子
あはれしづかな東洋の春ガリレオの望遠鏡にはなびらながれ 永井陽子
二つずつ幾種のパン購いて乗りこみきたり桜に行こうか 上野久雄
ひそかにもものの始末を急ぐごとマンション裏に散るさくら花 上野久雄
夜ざくらを見つつ思ほゆ人の世に暗くただ一つある〈非常口〉 高野公彦
まくなぎのやうにひととき渦まくは汚れかわけるさくら花びら 石川不二子
幾そたびふり仰ぎしかひとひらが散りそめてよりわれの桜ぞ 稲葉京子
遠く見てましろの桜近づきて一花一花のうすくれなゐや 稲葉京子
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