東 直子 (ひがし なおこ)
1963年12月23日、広島県安佐郡安佐町(現・広島市安佐北区)に生まれる。やさしく穏やかな家庭に育ち、姉の小林久美子もまた歌人として活動し、姉妹で文学の世界を分かちあってきた。子どものころから物語をつくるのが好きで、姉と一緒に本を読んだり、漫画を描いたり、妹に即興でお話を作って聞かせる日々を過ごす。非常に創造的な少女時代だった。
高校卒業後は神戸女学院大学家政学部食物学科へ進学。在学中には演劇活動にも親しみ、自己表現に対する興味をさらに深めていく。結婚・家庭を持った後も、その創作意欲は衰えることなく、雑誌「MOE」への短歌、詩、童話の投稿を開始するようになる。林あまりが短歌欄の選者だったこともあり、内容の豊かさから常連入選者となっていた。
1991年、加藤治郎の紹介により「未来短歌会」へ入会。ここで現代短歌界の巨匠・岡井隆に師事する幸運を得る。1993年には歌人集団「かばん」の同人となり、活動の幅を広げる。この「かばん」との出合いが、東直子の創作人生に大きな転機をもたらし、同人の歌人たちと切磋琢磨しながら個性と技術を磨いていく。
1996年、「草かんむりの訪問者」で第7回歌壇賞を受賞し、本格的な歌人活動を開始。平易な言葉でありながら、心の奥深くにある感情や情景を鮮明に切り取るその短歌は、幅広い層の支持を集めた。家族の日常や子育てのひとこま、そしてそして思春期・大人になった自分の感情や世界観を、独自の視点でみずみずしく歌にしていった。
歌集としては、代表的な『春原さんのリコーダー』(1996年/ちくま文庫)、『青卵』(本阿弥書店)、『東直子集』(邑書林)、日記短歌集『十階-短歌日記2007』などがある。作風は日常のリアルな情景から想像の世界まで幅広く、「私性」と「ファンタジー」の両面を織り交ぜ、短歌の魅力や可能性を存分に引き出している。
また、短歌だけにとどまらず、その表現力を生かして小説やエッセイ、イラスト、脚本にも活躍の場を広げる。2006年、小説『長崎くんの指』で小説家デビュー。2016年には小説『いとの森の家』で第31回坪田譲治文学賞を受賞するなど、多岐にわたるジャンルで高い評価を得ている。
近年も「NHK短歌」の選者、歌壇賞・角川短歌賞・現代歌人協会賞の選考委員、早稲田大学文化構想学部の客員教授など、現代短歌界・文学界の第一線で活動を続けている。また、絵本やエッセイ集、ミュージカル脚本など数々の著作や舞台も手がけている。
現代短歌の世界では、従来の枠にとらわれない自由さや自己表現の多様性が求められているが、東直子は「伝統」と「新しさ」の間にたたずみ、明快な言葉で晩秋の光や冬の風、家族や恋愛といった“私”の経験を次々と詠みつづける。
表現の「伝わり方」にもこだわりを持ち、“自分だけがわかる”世界ではなく、受け取った人の心に新しい景色や感情が生まれる歌を目指している。表現を通して自身と社会、家族や子どもたちとの対話を続け、その声は世代や性別を超えて共感を呼んでいる。
特筆すべきは、日常の「ささいなできごと」や「心の中の波」を瑞々しくすくいあげ、それをまるごと芸術に押し上げるセンスであろう。歌人としての東直子は、今なお進化し続けている。多彩な著作や活動を通じて、私たちに「新しい短歌の世界」を体体験させてくれる、現代日本を代表する歌人の一人である。
東 直子 歌集
1996年 第1歌集『春原さんのリコーダー 』 本阿弥書店
2001年 第2歌集『青卵』 本阿弥書店
2003年 選歌集『東直子集』 邑書林
2010年 第3歌集『十階-短歌日記2007』 ふらんす堂
東 直子 短歌
駅長の頬染めたあと遠ざかるハロゲン・ランプは海を知らない 『春原さんのリコーダー』
おねがいねって渡されているこの鍵をわたしは失くしてしまう気がする
たった一つの希いを容れた胸蒼くかたかたと飲むアーモンド・オ・レ
特急券を落としたのです(お荷物は?)ブリキで焼いたカステイラです
日常は小さな郵便局のよう誰かわたしを呼んでいるよな
春がすみ シュークリームを抱えゆく駅から遠いともだちの家
◆参照元一覧◆
- 東直子 – Wikipedia
- 北欧、暮らしの道具店 – 【短歌に出会って】第1話:歌人・東直子さんを変えた31文字の世界
- https://www.wakaura-tanka.com/interview2/ 「和歌の浦短歌賞」東直子様インタビュー
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