有間皇子(ありまのみこ) – 飛鳥時代の悲劇の皇族と歌人
640~658年 飛鳥時代の皇族。孝徳天皇皇子。歌人。
飛鳥の皇族で、孝徳天皇の皇子とされています。 彼の生涯は非常に短く、数え19歳で悲劇的な最期を迎えました。有間皇子は若いながらも卓越した歌人であり、その哀切と悲痛に満ちた歌は強い影響を与えました。
孝徳天皇の皇子であった有間皇子は、平穏な生活を送りながら成長しましたが、蘇我赤兄(そがのあかえ)という政治的な権力者によって謀反をそそのかされます。後を継いだのは、斉明天皇(さいめいてんのう)でしたが、蘇我氏を中心にさまざまな派閥が蠢いてました。その謀陰に巻き込まれ、反乱を企てられて捕らえられます。
藤白坂(ふじしろのざか)で処刑を宣告された有間皇子は、その最期を目前にして詠んだ歌が万葉集に収録されており、特に「磐代の浜松が枝を引き結び真幸くあらばまた還り見む」という歌が有名です。この歌には、運命に翻弄されつつも故郷への思慕を感じさせる切ない感情が込められています。短い生涯でありながら、彼の歌は日本文学史において高く評価されており、悲劇的な人物として今でも語り継がれています。
有間皇子の歌は、短い生涯の中で詠まれたものでありながら、日本文学史において深く評価されています。その歌風は「哀切」や「悲痛」と形容され、彼の悲劇的な最期を象徴するものとして、今も人々の心に響きます。
有間皇子 和歌
磐代の浜松が枝を引き結び真幸くあらばまた還り見む 『万葉集』
家にあれば笥に盛る飯を草まくら旅にしあれば椎の葉に盛る 『万葉集』
磯の上に生ふるあしびを手折らめど見すべき君がありといはなくに
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