山の歌の遍歴
日本は山国といわれるように、国土の三分の二は山地です。 山は万葉の昔から歌には多く詠まれてきました。その山には、高山と低山とがあり、人との生活からみれば奥山と里山とに分けられます。
また、神の宿る神聖な場所であり、俗人の立ち入りを絶する畏敬の念を持ったものが「山」の通念でありました。
歌には、山道を歩いて読んだの歌から、時代が下るにつれて同様に形式化へ陥って行く。山の歌の表現が大きく変わるのは明治の和歌革新以後で、写生ないしは写実の方法が短歌に導入されてからのことです。
現代では、写実に拠らない歌もあります。想像力によって山を思う歌、山を特定せず抽象化して詠む歌などです。そして自然に存在しない山の表現もあります。
山の短歌(和歌)
富士の嶺を高み恐み天雲をい行きはばかりたなびくものを 高橋虫麻呂
立山に降り置ける雪の常夏に消ずてわたるは神ながらとそ 大伴家持
秋山の黄葉をしげみ惑ひぬる妹を求めむ山道知らずも 柿本人麻呂
笹の葉はみ山もさやにさやげども我は妹思ふ別れ来ぬれば 柿本人麻呂
風になびく富士の煙の空にきえてゆくへも知らぬわが思哉 西行
槍が岳そのいただきの岩にすがり天の真中に立ちたり我は 窪田空穗
行けと行けど白檜しげれる深き山霧濃くなりて夕ぐるるらし 藤沢古実
鎖場につづく鎖場に鎖つかみつかみて岩を踏まへつつ攀づ 片山貞美
自然がずんずん体のなかを通過する―山、山、山 前田夕暮
雲の上に濃き藍を乗せ霜月の立山連峰ぐいとひろらに 佐佐木幸網
いただきは雪かもみだる真日くれてはざまの村に人はねむり 斎藤茂吉
黄金の落葉松はいと高らかに笑ひゐて蔵王の深き沈黙 馬場あき子
ふるさとの山に向ひて/言ふことなし/ふるさとの山はありがたきかな 石川啄木
国に事ありものみな動く秋にして山は静けくもみぢ葉を積む 岡本かの子
立山が後立山に影うつす夕日の時の大きしづかさ 川田順
雪にまみれ真白となれる道標幽かなる世を指し示すらし 来嶋靖生
喪のいろのたぐひとおもふもんぺ穿き山の華麗に対はむとする 葛原妙子
とげとげしき山の姿に在り馴れしこの国人よなめらかならず 斎藤史
地中銀河と言はば言ふべし富士山の胎内ふかく行く寒き水 高野公彦
星あらぬ空を戴き山上に眠れり触れしその夜のごと 水原紫苑
地図になきスラムの名前 煙なす「スモーキーマウンテン」 塵芥の山 俵万智
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