小暮政次(こぐれまさじ)
1908年(明治41年)2月2日に東京・京橋で生まれ、2001年(平成13年)2月13日に93歳没。昭和から平成にかけて活躍した歌人。彼は、東京府立第一中学校を1925年(大正14年)に卒業し、その翌年に三越に入社しました。彼の職業人生は主に三越百貨店での勤務でしたが、一方で短歌の世界でも大きな足跡を残しました。
1931年(昭和6年)に短歌結社「アララギ」に入会し、そこで土屋文明の指導を受けました。これにより、彼の短歌の才能が開花し、1955年(昭和30年)からは「アララギ」の選者を担当するようになりました。彼の選者としての活動は非常に重要であり、「アララギ」の解散後も、短歌の発展に尽力しました。
「アララギ」の解散後、小暮政次は自ら短歌誌「短歌21世紀」を主宰し、新しい時代の短歌を切り開く活動を続けました。また、彼は読売新聞の地方版で短歌選者としても活動し、幅広い読者層に短歌の魅力を伝えました。彼の短歌は、自然や日常の風景を描きながらも、深い人間の感情や哲学を織り込んでおり、その独自の視点は多くの人々に影響を与えました。
代表的な歌集には、『新しき丘』『春望』『花』『春天の樹』『雨色』『青條集』『薄舌集』『暫紅新集』などがあります。特に、『春天の樹』は、1959年(昭和34年)に第5回日本歌人クラブ推薦歌集に選ばれ、彼の名を広く知らしめました。また、1996年(平成8年)に発表された『暫紅新集』は、第3回短歌新聞社賞および第7回斎藤茂吉短歌文学賞を受賞し、彼の短歌の深みと独自性が高く評価されました。
短歌の特徴は、シンプルな言葉の中に深い感情や哲学を込め、読み手に強い印象を残すことです。彼の作品には、自然や日常の中にある美しさを見つけ出し、それを詩的に表現する力があります。また、彼の短歌は、時には苦味を伴い、読む人に深い考察を促すものであり、単なる表面的な美しさを超えて、読者に感情的な深みを提供します。
小暮政次は、昭和から平成にかけての日本短歌界において重要な役割を果たし、その影響力は現在でも続いています。彼の作品は、時代を超えて愛され続けており、短歌の世界に新たな視点や深みを与え続けています。彼の短歌を通じて、日本の短歌文化の豊かさと奥深さを感じることができるでしょう。
小暮政次 短歌
日本語は今も清しくあるらむと海渡り吾が帰り来にけり 『新しき丘』
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