【楫取 魚彦】『1選』知っておきたい古典~現代短歌!

 

久留米ケイトウ

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楫取 魚彦(かどり なびこ)

1723~1782年 下総(千葉県)生まれ、江戸中期の国学者・歌人・画家。

本姓は伊能、名は景豊かげとよ。 通称は茂左衛門。号は青藍・茅生庵ちぶあんなど。

父は伊能景栄(かげまさ)。

江戸時代中期に活躍した国学者、歌人、そして画家です。本名は伊能景良で、通称は茂左衛門、号は青藍や茅生庵(ちぶあん)と呼ばれました。彼は、現在の千葉県香取市にあたる下総国香取郡佐原で名家の子として生まれました。

楫取魚彦は、初め俳諧(はいかい)を楽しみ、建部綾足の門下で片歌を学びながら、画も学びました。その後、賀茂真淵(かもまぶち)に師事し、古学を深く学びました。彼は「県門の四天王」として称賛され、教えを受けた弟子には、窪俊満(くぼしゅんまん)がいます。

1765年には、家を息子に譲り、江戸に移住して「茅生庵」という名の家で多くの弟子を育てました。最終的に、彼の元には200人以上の弟子が集まりました。1782年に60歳で亡くなり、現在の千葉県香取市にある観満寺に葬られています。

楫取 魚彦 短歌

ちちのみの父いまさずて五十年いそとせに妻あり子ありその妻子あり 『滑取魚彦家集』

 

 

 

 

 

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