斎藤 瀏(さいとう りゅう)
1879~1953年 長野県生まれ。日本の陸軍軍人。歌人。長女の斎藤史は歌人。
1935年、佐佐木信綱主宰の「心の花」に 入会。1921年に第一歌集『贖野』を上梓する。1936年の二・二六事件に関係し入獄、禁錮五年の刑を受ける。「心の花」を辞し、1939年に「短歌人」を創刊。
歌壇で最も活動したのは十五年戦争の時期で、1940年、日本が太平洋戦争に踏み切る前年あたりからである。
太田水穂や吉植庄亮 と組んで大日本歌人協会を解散に追いやる活動が中心で、新たに戦争を遂行する大日本歌人会を発足させる。
西比利亜の大野打ちひたしよどむ陽に我が屯営の旗はかゞやく 『曠野』
たまきはる命いとしみ北蝦夷にたどきも知らず来にし人かも
ひたすらに思ひふかめて行くものか移住者は此処の町を出でたり
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